チワワの小太郎
 
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●犬に救われる人と犬を捨てる人◆『こころを救う犬たち』 [2003年08月03日(日)]
こころを救う犬たち―人と犬との出会いの奇跡
篠原 淳美(著) 、米山 邦雄(著)

ダイヤモンド社
¥ 1,575 [単行本] 2003-07
ISBN:9784478732564 / ASIN:4478732566

うちにはチワワの小太郎がいて、たぶん二匹目を飼うことはないと思うのだけど(私は飼いたいけど家族はダメ)、もし飼うことがあるのなら、ボストン・テリアがいいなぁと思っている。でも知名度はあるものの、チワワほどに一般的でないので、ボストン・テリアの本はあまりない。だからどんな犬なのかよくわからない部分もあって、犬初心者の私にはちょっと不安でもある。一時期はブームになったこともあるらしくて、マンガ『のらくろ』のモデルにもなった犬だ。容貌はフレンチ・ブルドッグに似ていて、身体の色は黒と白。黒と白のフレンチ・ブルドッグと並んだらどちらがボストン・テリアか見分けがつかない。このタキシードを着たような身体の色から「アメリカの小さな紳士」とも呼ばれているらしい。

うちの母はブルドッグやパグなどの鼻の短い犬はかわいくないと言うのだけど、私はこの系統のブスな感じがとっても好き。小太郎を飼うときもチワワかボストン・テリアか迷ったのだけど(ペットショップにはそのとき偶然、ボストン・テリアもいた。その後はあまり入舎していないみたい)、もともと犬を飼うこと自体に反対だった父母の意見や環境を考慮してチワワに決めたのだった。この選択は間違っていなかったけど、それでもやっぱりボストン・テリアへの想いはいまだに募るばかりなのだった。

そうやって、ボストン・テリアのことをいろいろ考える日々なのだけど(もちろん、小太郎のことはもっと考えている)、そんなときに本屋でボストン・テリアらしき犬が表紙になっている本を見かけた。普通のペットの本のように陽気な表情じゃなくて、なにかを考えながら遠くを見るような表情の犬の写真だ。本のタイトルは『こころを救う犬たち』。この手の本は最近になっていくつか出版されているのは知っていて気にはなっていたのだけど、読んだことはなかった。

私自身、病気と治療で心身が限界に近いような状態のときに小太郎を飼うことにして、ものすごく救われたという体験がある。だから、犬が人のこころを救うのは本当で、どんな薬よりも効くということも身に染みて知っている。だから、あえてそういう内容の本を読むまでもないと思い、本屋で手に取っても、買って読むまでには至らなかった。

『こころを救う犬たち』を買った一番の理由は表紙のボストン・テリアに惹かれたからだ。もしかしたら、ボストン・テリアについて書かれているかもしれないと思って買ってみた。

読んでみたら、ボストン・テリアについてはほとんど書かれていなかったのだけど、内容はもう感動てんこ盛りで涙ボロボロだった。著者の篠原さんは犬のしつけ教室を開きながら、捨てられ、処分される寸前の犬たちを保護して里親を見つけるボランティアをしている方。表紙のボストン・テリアはそうして保護され、篠原さんの愛犬となったボストン・テリアかもしれない。他にも数冊の著書があるので、そのなかにこのボストン・テリアの物語もあるのかもしれない。

この本は冒頭から愛犬の死について書かれている。犬好きや現在犬を飼っている人にとっては、もし自分の犬がこんな状況になってしまったら、と考えるだけで胸が締め付けられる思いになるに違いない。天寿を全うする犬もいれば、若くして病に倒れる犬もいる。また事故で亡くなってしまう犬もいる。人にも犬にもいつかは寿命が来るとはいえ、愛犬にはできるだけ長生きして欲しいし、できれば苦しまずに逝かせてあげたいと思うのが飼い主の気持ちだ。この本の中には何頭もの犬の死について書かれている。交通事故や癌で亡くなる犬がいる一方で、老齢でも家族に見守られて幸せにも見える死を迎えた犬もいる。いったいうちの犬はどんな風に天に召されるのだろう。小太郎はまだ一才にもなっていないので、まだまだ長生きしてもらわなくては困るけれど、いつかは訪れる死を覚悟しなけりゃなぁとつくづく考えてしまった。

著者は最初の愛犬のチワワを交通事故で亡くして、重度のペットロス症候群になった経験を持つ。そして、その心の病を治してくれたのが、二番目の愛犬だった。病になったきっかけも犬なら、それを治してくれたのも犬だった。犬はそれほど深く人間の心と関わりをもつ動物なのだ。

その一方で、簡単に犬を捨ててしまう人たちもいる。私は知らなかったのだけど、いらなくなった犬(こんな言い方は嫌だけど)を自ら収容所に持ち込む飼い主というのがいるらしいのだ。殺されると分かっていて。それも収容所に収容されている犬のうち、飼い主が持ち込んだ犬というのが、野犬などよりも相当多いらしい。無計画に子供を生ませて、育てられないからと子犬も多く持ち込まれる。野や山に捨てるというのも言語道断だが、いらなくなったから(飼えなくなったから)と言って簡単に収容所に連れて来てしまうというのもひどい。どうしても飼えなくなったなら、全力で里親を探してあげるのが飼い主の務めではないだろうか。

簡単に犬を捨てる人たちは深く考えずに簡単に犬を飼い始め、自分の想像と違っていると簡単に犬を捨ててしまうらしい。例えば、こんないたずらをするとは思っていなかった(子犬はいたずらするのは当たり前。犬にとっては遊びの一種だったりする)、こんなに大きくなるとは思わなかった、こんなにバカだとは思わなかった(教えなければ犬は何も覚えない)、うんちをするとは思わなかった。こういう人たちは犬を飼う前に犬について何も勉強していないのだ。世の中にはこんな人たちが大勢いるらしい。

犬はモノではない。生き物だし、感情豊かな動物なのだ。だから、飼う前にその犬種の特徴(運動量や性格、成犬になったときの大きさ、手入れの方法、医療費や食費やトリミングなどでかかる費用など)を調べ、家族全員で迎え入れてあげなければいけないと思う。家族に犬嫌いな人がいると、犬も落ち着かないらしい。子供がいれば、子供とうまくやっていける犬かどうかもポイントになる。

また、犬種によっても違うだろうが、十何年も生きるのだから、その犬が老犬になるときまで世話ができるかどうかということも考えなければいけない。この本の中でも、70代の老夫婦が若い愛犬の将来を憂う場面がある。自分達がいなくなったらこの子はどうなるのだろうと思うと不安なのだ。だから、著者は老齢の方には子犬ではなく、ある程度年令のいった犬を飼うことを勧めている。その上で、なにかあった時に犬を引き取ってくれる後見人を決めておくとよいそうだ。

虐待され保護される犬や収容所に連れて来られる犬はきちんとしたしつけをされていなかったり、心の病気を抱えていることも多いようだ。犬のしつけ教室を開いている著者は自分の得意分野を生かして、そういう犬たちをしつけ直して新しい飼い主の元に送りだす。しかし、大きな心の病を抱えている犬は、しつけ教室ではどうにもならない犬もいる。

そういう犬はもらい手がいないのだが、ある時、心の病をかかえていると分かっていて、その犬を飼いたいという老夫婦があらわれた。やっかいな病で、飼い主の努力や負担も大きいので、著者は断るのだが、どうしてもその犬が欲しいという。理由を聞くと、夫が心の病を抱えていて、医者から犬を飼うことを勧められたという。そして、心を病んだ犬の事を知った時、この犬だと思ったのだ。自らも心を病んだことのある著者は夫の気持ちがよく分かった。そして話し合いの結果、この夫婦にこの犬を譲ってもいいと思った。心を病んだ犬を飼うことになった老夫婦は、この犬に救われた。夫の病は快方に向かい、夫の看病で疲れきっていた妻の心も癒された。犬の病はあまりよくはならなかったが、夫婦は暖かく見守っていくことにした。

犬と人間が寄り添って生きて行くというのはこういうことかもしれない。お互いに癒し、癒されて生きて行くのだ。ひどい境遇から救われて、新しい飼い主の元に旅立つ犬たちは幸せそうで、本当によかったと思う。しかし、その一方で救うことのできない犬たちもたくさんいるのだ。救われるのはほんの一部。今の状況では仕方のないことなのだけど、少しでも不幸な犬が減るといいと思う。でも不幸な犬をつくり出している人たちはきっと、こんな本を読まないんだろうなぁ。

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