チワワの小太郎
 
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●犬の気持ちになってみる◆『心を病んだ犬たち』 [2003年09月26日(金)]
心を病んだ犬たち―そして再び犬たちの心は癒される
篠原 淳美(著)

ベストセラーズ
¥ 1,575 [単行本] 2000-03
ISBN:9784584185421 / ASIN:4584185425

犬のしつけ教室を開きながら、処分犬を保護して里親を探すボランティアをしている著者のもとには実に様々な事情を抱えた犬や人がやってくる。人間にいじめられて心を閉ざしてしまった犬や引っ越してしまった飼い主に置き去りにされて死の寸前で保護された妊娠犬、飼い主にたたかれながら間違ったしつけ方をされたために凶暴になってしまった犬などだ。そして、自分の飼い犬との関係がうまくいかなくて悩む飼い主たち。犬を捨ててしまう飼い主がいる一方で、犬を愛しているのになぜか愛犬との関係がうまくいかないという人たちもいる。

私の母はよく、うちの愛犬の小太郎に向かって「お前も言葉がしゃべれたらいいのにね」と言っているのだけど、私は逆で、犬はしゃべらないからいいのだ。人間は言葉を使って簡単に言いたいことを伝えることができる。だけど、それで伝わるのは伝えたいことのごく一部にすぎない。犬と人間は共通の言語をもたないけれど、その分、しぐさや表情などをお互いに注意深く観察して相手の気持ちを考える。そうすると、人間同士が言葉で伝えあうのとは違うところが繋がる感じがするのだ。

犬は犬だし、人間は人間。犬の行動には犬なりの理由がある。犬の気持ちになって考えないと分からないことも多い。逆に、犬のほうも、嫌でも人間の生活にあわせなければならないことがたくさんあって、きっと犬なりにいろいろ考えているんだろうなぁと思う。そうやって、お互いに理解しようという気持ちが愛犬と飼い主の絆を深めて、人間同士では築けないような深くて微妙な関係を築くことができるのだ。

人間側の都合や人間側の常識で犬の行動を見るとわからないことが多い。だけど、犬の気持ちになって、犬の常識で見ると納得できたりするのだ。犬が飼い主に噛み付くのは、人間の側から見ればとても問題だけど、犬にしてみたら自分がリーダーで、部下である人間が犬社会でのルール違反(リーダーに逆らうなど)をしたときに一生懸命に叱っているらしい。叱られた(噛まれた)人間がそこですごすごと引き下がってしまうと、犬は「やっぱり自分がリーダーだ」と再認識してますますひどくなるという訳だ。

犬と人間が一緒に気持ち良く暮らそうと思ったら、人間が犬のリーダーになってあげなければならない。犬をリーダーとして暮らすのはとっても大変だから。人間が甘やかしすぎて、なんでも犬の言うことを聞いていると、犬はそれをリーダーに対する服従だと理解してしまうのだろう。人間がリーダーになるには、犬に対してそれなりに厳しい態度をとらなければならない。人間のこどもならいけないことをしたら厳しく叱るのに、犬に対してはそれができない飼い主がいる。人間のこどもを厳しく叱るというのは、将来的に、叱ることが子供の身を守ることになるからだ。犬も同じで、厳しく叱るのは愛情表現の一部。犬が人間の言うことを聞かなくなると、場合によっては命を落とすことにも繋がってしまう。

著者である篠原さんのしつけ教室では、犬を直接しつけない。飼い主にしつけ方を教える教室なのだ。犬と飼い主の事情はそれぞれの家庭によって異なる。だから、この家ではこれは駄目だけど、こっちの家ではOKなんてこともある。そこは飼い主さん次第ということだ。

例えば、犬が人間に飛びつくという行為は絶対に直さなければならない悪癖だと篠原さんは言う。だけど、極度の人間不信に陥ってから篠原さんの努力によって人間への愛情を回復したクロという雑種犬に対してはこの悪癖を直さなかった。なぜなら、クロが心を開いたときに篠原さんの飛びつくという行為で愛情を表現したから。そこに行き着くまでに長い道のりがあって、何度も噛み付かれたり、絶望したりしたあと、完全に心を閉ざしていた犬が篠原さんに飛びつくまでに回復したのだ。その瞬間、どれほど嬉しかったことだろう。クロが飛びついてくるたびに、篠原さんはその時のことを思い出す。「家庭犬って、どこか間の抜けたところがあっていい。仕方がないねぇと、笑える欠点があって面白い」と篠原さんは言う。私も大賛成。すっごくお利口さんな犬なんてきっとつまらないに違いない。

愛犬の死によって重度のペットロス症候群になって、その後、犬によってその傷を癒された著者。多くの犬に関わってきただけにその言葉には説得力がある。犬の問題は飼い主の問題であることが多い。飼い主が変われば犬も変わる。篠原さんは犬と関わると同時に飼い主である「人」と深く関わっている。犬と人間が少しでもいい関係になれるように、犬の言葉を篠原さんが代弁して飼い主に伝えているような気がする。犬には犬の、言い分というものがある。それが理解できないと、人間の都合の悪いことをする、「困った犬」になってしまうのだ。ペットを愛する人の心も、人を愛する犬の心も分かるからこそ、お互いに理解し合って犬にも人にも幸せになって欲しいという気持ちが伝わってくる。

この本には人間の都合によって心を病んだ犬たちがたくさん登場する。犬は感情豊な動物だから、人間と同じように心の病気になってしまう。きっと、その犬の飼い主も心を病んでいるのではないかという気がしてくる。犬との関係は一筋縄ではいかない。お互いに理解しなければいけない。ただ餌をあげて、人間の都合のいいときだけ遊んで、人間に都合の悪いことをしたときには一方的に叱るというのでは犬がかわいそうだ。お互いに意志の疎通ができるというのが犬のいいところなのだから、飼い主が犬を理解したいという気持ちを放棄してしまっては犬との楽しい生活など送ることができないだろう。

愛犬にたとえ悪癖があっても、それが命に係わるとかいう問題でなければ、何が何でもしつけで直さなければいけないということはない。飼い主が問題だと思わなければ、噛み付く犬でもいい。この本の最後に、愛犬に噛まれても楽しくて仕方がないというお父さんが登場する。この噛み付きを直すためにしつけ教室に通っているのだが、家族には噛み付かなくなったものの、お父さんに噛み付くのだけは直らない。お父さんは噛み付かれても嬉しくて仕方ないらしい。飼い主が問題だと思わなければ、それは直すのは難しい。だけど、飼い主がそれでいいのなら、無理に直す必要もないという篠原さんの言葉に、深く感銘した。本に悪い癖だと書いてあるから、絶対に直さなければいけない、などと四角四面に考える必要はないのだ。その犬とその飼い主に合った、よい関係が築ければそれでいいではないか。犬を飼うって楽しいことなのだから。

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