思い出ノート

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No.101 高37回生
Web上に、同期のO君とI君の名前を発見!
卒業から18年、それぞれの人生を爆進中ですね。応援してます。
百段坂、上庭、体育祭など懐かしい響きは覚えているのに、実際のイメージが遠く霞みつつあります。機会があれば、実物を見に行きたいものです。
思い出といえば、今は無きマックJr(笑)。オレンジビルの地下。
1985頃の記憶を溯ると、自然に笑いが込み上げてしまう懐かしいキーワードです。
そういえば、S.T先生元気かな・・・熱いコーシー。
No.102 高25回生 うるうる!
もう卒業して30年なんだ。平光も巻上も地道にがんばってるよね。古屋健ちゃんが群馬大の教授らしいですね。随分と難しい論文書いてるみたいねえ、相変わらず・・・。初めてふらっと立ち寄ってみたけど、ずっこけてたあの頃が甦るもんですねえ。まるでおんぼろのタイムマシンに乗ったみたい。
おーい春海!たまには飲もうよ。それじゃまた。
No.103 高20回生 カイルア
小津安二郎の映画が特集で放映されていますが、内容もさることながら、出演している中村伸郎を見るたびに、30年以上前にお世話になった小泉重義先生を思い出しています。当時生徒から、どなたかに似ているとささやかれていましたが、中村氏だったのですね。本当によく似ています。表情、雰囲気といい、声といい、しぐさといい小泉先生そっくりですね。
No.104 高22回生
今となってはとても懐かしいことばかり

朝寝ぼけ眼での百段坂はつらかった 入学したらすぐ応援練習というのがあって与太者風のお兄さんたちから特訓を受け「エッこれも小田高!何だこれは?!」と思ったが今はもっとスマートになっているのでしょうか

入学して間もなく用事があって放課後2階の2年生の教室に行ったら皆机の中に教科書がぎっしり詰まっていてそのとき初めて教科書は持ち帰るものでないということを学んだ
卒業生から上の方の教室だと競輪場が見えてレースが見学でき博才が磨けると聞き楽しみにしていたがよく見えず単なる伝説であることが解った

ただ私の前の席に座っていた人間は紙の切れ端でマージャンパイをつくり授業中一生懸命牌の並べ方を研究していたが早稲田に現役合格しその後商社のアメリカ駐在となった(私の早稲田生のイメージができあがったがアメリカでも麻雀をしているのだろうか)

先生方は昔の古きよき時代を懐かしんで「○○大学合格が何名の時があった」とか言ってハッパをかけるのだが生徒はマイペースで笛吹けど踊らずギャップがあったのがよかった

文化祭で当時名物のお化け屋敷をやり暗闇でお化けで出て「何をするの!」と城内生にひっぱたかれたドジがいた
わざわざ生物部の友人に頼んでガマ蛙をつかまえてきてもらい紙造りの箱に入れ触ってもらい「キャッ」と言ってもらう趣向だったが暗くて誰も触る人間がいなくて不発だった

ユニークな名物教師もしっかりいて最初から最後までY談テンコ盛りの美術の善波先生(その後外人スチュワーデスとの恋愛が実らずお気の毒だったが結婚はされたのか?)・授業が始まっても掛け合い漫才風のひと時でこれで今日は終わり楽で良かったかったと思いきや突然先生の気合が乗り「バクシンでーす」の掛け声で超スピードで終わりいつでもマイペースの英語の宮本先生などなど お笑いには事欠かなかった

No.105 高25回生 春海
何やら呼ばれてしまいました。しかしここに来たからには何か書かないといけませんね。

思い出というものでも無いのですが、私の代は全国に吹き荒れた学園闘争の直後の入学でした。既に大きな峠は超えてしまっていましたが、まだ火は消えずに残っていました。

私はある時期にこの種の運動に加わり、当時まだ真っ最中だったヴェトナム戦争に送りだされる戦車を阻止する闘争に仲間何人かと出かけて行きました。在る日機動隊と睨み合いになり大混乱。気が付いてみたらドジな私は逃げ遅れて捕まってしまっていました。

日の丸・君が代が義務付けられる今こんな事を起こしたら退学になるかもしれません。当時の先生方には、前例が無いので今回は処分無し(何と私が第1号だったらしい)と大変寛大な処置を頂きました。本当にありがとうございました。

昨年のイラク戦争でも、反対を唱える若者が随分居る事を感じ、嬉しく思います。
さて、呼んでくれた「うるうる!」さん、飲む方は受けて立ちます。いつでもどうぞ。

No106 高51回生
人生最高の、「大切な人」に会ったこと。
あなたは殿堂入りです。
どうもありがとう。
No.107 高51回生
高校時代に出会った人たちは、今でも自分の中で大切な存在です。
あのころは自分なりに将来に夢もってました。でも、今の自分はそこからかなり遠いところにいる気がします…。
あのころの自分の期待にちょっとでも答えられるように、今から努力しようかな。
No.108 高51回生 Ann
やっぱり放課後の部活でしょう☆
練習しつつも、プールの横の道を仲良く帰ってゆくカップルをよくチェックしては噂話をしていました。そういえば、冬は猿も出現して弁当を食べられたこともあったなあ。
小田高での思い出と出会った人たちは私の宝物です。
それにしても、あのころは若かった・・・。
No.109 高52回生
いろいろあった3年間ですた。

自分と似た人、全然似てない人、気の合う人、合わない人、好きな人、そして嫌いな人でさえ、それがいい味となって、みんなが調和のもと「ひとつ」になってた素敵な学校でした。入学当初、まだまだ未熟だった私は、ここで出会った数々の尊敬できる仲間との切磋琢磨の日々で、随分人間的に大きく成長しました。

もう卒業から随分経ちますが、いまでも高校の仲間といる時間が一番「自分らしく」いられることが私の誇りで。そんな我々も、今年で一応「学生生活」とはサヨナラする年齢となりました。早いなぁ。就職する者、大学院へ進む者、そして既に働いている者(私留年しましたから・・・)、みんなとてもイイ顔してるんです。もちろん、高校の頃に描いていた「将来」とは多少の違いがあるけれども、それでもみんな妥協することなく自分の人生に一生懸命であったが故に、今日の笑顔があると思われ。

そんな仲間達を見ていると、大変刺激を受けるし、また自分も刺激を与えられる存在でいられたら・・・と張り合いがでます。こんな関係、小田高生ならでは、と思うぃます。
まだまだ長い人生、みんなとの縁は途切れることなく続いていくと思います。もっとも最近はみんな忙しく、なかなか一同が一斉に集まるということは難しくなってはきましたが。それでもちまちまと時間を見つけては会ってますに。「今度全員集まるのは誰かの結婚式の日か?多分アイツが・・・」などと話が盛り上がる、・・・あぁ、年とったなぁ。

あたしゃあと2年間、大学院での学生生活ですが、これから働く同級生、そして後輩のみなさん(・・・と、もうここまできたら概念としての「先輩」も「後輩」も無いんです、私にとっては、それぞれが尊敬できる「仲間」でしから)の背中見てると、自分も早く「社会人」として同じ土俵に立ちたい、と焦燥感にかられることも。こればっかりはどうしようもないんだけどね、自分も小田高生活で見つけた自分なりの「将来」へ向かって頑張っておりますから。あと2年間、暖かく見守ってください、仲間達よ。

さて、尽きることなく話せるので、最後に一言。小田高で出会い、多くのことを教えてくれたみなさん、私はみんなの御陰で今日、ここにいます。人生を語るにあたって「if」はご法度ですが、それでも「もし」みんなに出会ってなかったら、今の私はもっと諦めの早い、弱い人間であったと思います。みんなに背中押されてこそ、日々頑張っていけるですよ。本当に感謝しています。こんなこと本人達を目の前にすると憎たらしくって絶対言えないからネ、この場を借りて伝えます。

そして、この文章を読んだみなさん、私のことを知らない君も、同じ「心当たり」がきっとあると思います。んじゃないとこのサイトに到着しないもんね。近いうちに小田高の同朋に会ったら、チョイと感謝の言葉でもかけてみてください、きっと相手も同じ気持ちでいるはずですから・・・

No.110 高38回生 sas
時々拝見していますが、38回生がほとんど見当たりません、どうしているのやら??やはり学年によって差がありますね!また遊びに来て見ますね、

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