□□□□□□□□□□ 茜色通信 Vol.0032 □□□□□□□□□□ 2001/09/13 Thu.---Since2000/01/26  発行部数106  「茜色通信」をご購読いただきありがとうございます。  私のサイトの更新情報と日記(日々のほのぼの)のダイジェスト版を  お届けします。  台風15号がひどい雨を降らせました。近隣の学校もほとんどが休校になって  しまうほど。しかし年甲斐もなくワクワクしてしまった私。ちょうどお休み  だったから、お家で台風を堪能したのでした。大きな被害がなくてよかった。  で、その夜、アメリカの同時多発テロのニュース。もうびっくりです。映像  で見ているとスケールがよくわからなくて、ミニチュアで特撮しているよう  にも最新のCG合成にも見えてきてしまって、現実感がなくなってしまいま  す。でも実際にはあのビルには何千人もの人がいて、ひょっとすると、阪神  大震災よりも多くの人が亡くなっているかもしれないのですね。救助、復興  が迅速に行われることを祈ります。 _/Contents_/ -- 今日のほのぼの -- ●下村ハムレット〜四季『ハムレット』 [2001年07月18日(水)] ●摩訶不思議子どもの世界〜『子どものことを子どもにきく』 ●大根でもいい〜『風と共に去りぬ』 [2001年07月29日(日)] ●生きる力ってなんだろう〜『千と千尋の神隠し』 [2001年08月01日(水)] ●あまりにも残酷〜『タイタス』 [2001年08月04日(土)] ●未来少女の大活躍物語。かな?〜『ルー=ガルー 忌避すべき狼』                         [2001年08月05日(日)] --更新情報-- ★茜音 ★ぱんだ雑貨店 ★いるかプロジェクト =>>登録・解除・変更はこちらから http://akane.pos.to/common/f/akaneiro.htm ※記事中の書名の下にあるURLはオンライン書店bk1( http://www.bk1.co.jp ) の書籍詳細ページのURLです。 その本の内容、値段、大きさなどの詳細情報の ほか、bk1に投稿された書評なども読めます。 ___________________________________ -- 今日のほのぼの -- ●下村ハムレット〜四季『ハムレット』 [2001年07月18日(水)] 劇団四季の『ハムレット』を観てきた。主役のハムレット役は石丸幹二さんと 下村尊則さんのダブルキャスト。私が観たのは、下村ハムレット。石丸ハムレ ットは、以前テレビの劇場中継で観たことがあるのと、たぶんチケットの争奪 戦が激しいだろうと思って、下村ハムレットのチケットを取った。 しかし、舞台写真を見るとどうみても石丸さんの方が精悍でカッコイイ。悩め る若者ハムレットにぴったりだ。一方の下村さんの舞台写真は、なんだか田舎 臭いハムレット。この違いは一体なんなんだ〜。 私は下村さんの舞台は映像でも劇場でも一度も観たことがないので、本当に申 し訳ないが、写真の印象だとちょっとイモ臭く見えてしまった。本当はどうな んだろう・・・。動いている下村さんは観たことがないけれど、実は演劇雑誌 『レ・プリーク』に下村さんが連載している「ちょっとマチネ〜」には最近か なりはまっている。この人、文章が面白い。いや、たぶん文章だけじゃなくて、 生き方も考え方も面白いに違いない。なんてったって、下村さんのプロフィー ルに必ず登場する、「バトントワリング世界チャンピオン」っていう経歴から して変わってるゾ。バトントワリングのチャンピオンがなんでまた四季に入っ たんだ?う〜ん、面白い。 さて、『ハムレット』。とにかく長くて(長く感じて)、おしりが痛くなって しまった。まぁ、休憩入れて3時間だから、そんなに特別長いって訳じゃない んだけど、すごく集中してセリフを聴いていないと分からなくなっちゃうから、 それで疲れちゃった。 映像で観た時には、床に放射線状に白いラインが引いてある舞台美術がそれほ どいいと思わなかったんだけど、実際に見てみたら舞台に奥行きが感じられて とても綺麗。映像ではあまりよくわからなかったけれど、床のラインだけじゃ なくて、左右の壁も遠近感を強調するように作られていて、それらが調和して いる。やっぱ舞台は生(ナマ)で観ないと分からないもんんだなぁ、と再確認。 下村ハムレット、なかなか良かった。シェイクスピアって台詞が多い。原文で 読んだことがない(というか読めない)から分からないけど、もしかしたら日 本語に訳すと台詞が多くなってしまうのかな。台詞は言わなきゃいけないし、 演技はしなきゃいけないし、大変な芝居だ。ハムレットってもしかしたら変な 演技力なんてなくて、まっさらな心で台詞を言える人がやったほうがおもしろ いのかも。いや、素人なんでよくわからんけど、台詞聴いて、演技も見て、な んか疲れる。これは下村ハムレットだけじゃなくて、石丸ハムレットでもちょ っと感じた。 実は私はハムレットの恋人、オフィーリアが好き。四季では野村玲子さんが演 じているけど、野村さんが好きな訳ではなくて、オフィーリアという存在が好 き。で、言ってしまえば、野村さんのオフィーリアは私のオフィーリア像とは 違う。野村さんのオフィーリアは野村さんのキャリアの所為もあるかもしれな いけど、なんとなくモノの道理をわきまえたオフィーリアだ。狂気の場面でも 妙に礼儀正しかったりして。ま、それはそれでいいのだけど。 私がオフィーリアに魅かれたのは、イギリスの画家ミレイの描いた『オフィー リア』という絵を見てから。画集で初めてその絵を見た時にはまだ『ハムレッ ト』を読んだこともなくて、この絵に描かれた女性が『ハムレット』の登場人 物だとは知らなかった。絵の解説を読むうちに、それがハムレットとの恋に破 れ、狂気に陥って川に落ちて死んでしまうオフィーリアという女性だと知った。 絵に描かれたオフィーリアは、両岸に葦や野バラや柳の生い茂る小川に浮かび、 顔を両手を川面に出し、狂気のまなざしで虚空を見つめている。『ハムレット』 を知らなくても、この女性の命の儚さが伝わってくる。それは周囲に描かれた 青々として生命力を感じさせる自然の植物と対照的だ。 この絵に描かれた場面は、劇中ではハムレットの母ガートルードが語るだけで、 川に落ちるオフィーリアの場面が実際に演じられることはない。でも、この、 オフィーリアの死について語られる場面はとても印象的で、好きな場面の一つ だ。 私の中のオフィーリアは女性というよりも少女で、天真爛漫。ハムレットとの 恋にはしゃいでいるような女の子。でもハムレットの心が離れてしまった(実 はハムレットの芝居)と感じ、そのうえ父も亡くしてしまってその急激な環境 の変化に耐えられなかったのかも。無垢な心が災いして、ハムレットの復讐劇 の犠牲になってしまった。 そうそう、今回改めて分かったんだけど、『ハムレット』って敵討ちの話なの ね。殺された父親の敵討ち。ある意味、人情もの。だからこんなに人気がある のかも。オフィーリアとの悲恋もちゃんと入ってるしさ。 野村オフィーリアは映像で見るより、ナマで見る方がよかった。映像だとアッ プがきついかも(ごめんなさい)。野村オフィーリアもよかったけど、他の人 のオフィーリアも観てみたい。 それにしても、四季の人たちは本当に滑舌、発声が良く訓練されていて、台詞 が一つ一つ聞き取り易い。四季って役者の層が厚い。まだまだ安泰ね。 ___________________________________ ●摩訶不思議子どもの世界〜『子どものことを子どもにきく』                        [2001年07月22日(日)] 『子どものことを子どもにきく』杉山亮/著(新潮OH!文庫) http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=p-akane01465&bibid=01935699 この本、偶然に手に取ってパラパラを見ていたらすっごく面白くて、つい買っ てしまった。新潮OH!文庫をあなどってはいけない。 それなりにヒットを飛ば してるのだ。OH!文庫の『恐るべきさぬきうどん』はスマッシュヒットらしい。 子どものことを子どもにきいた本って今まであんまりなかった。大人から見た 子どものこと書いた本はたくさんあるけど、子ども自身の言葉が載ってる本っ てあんまりなかったんじゃないかな。 私には子どもがいないし、身近にも子どもがいないんだけど、お店にやってく る子どもや、電車の中で見かける子ども、街で見かける子どもが妙に気になる。 もともと子どもが好きなんだけど、コミュニケーションを取るというよりは、 観察してるのが面白い。今日も、電車の中で見かけた二歳くらいの男の子、椅 子に座ってたんだけど、何を思ったか急にのけぞったもんだから窓枠に思いっ きり頭をぶつけてしまった。「ごんっ」っていうすごい音がして、私は「絶対 泣くぞ」と思ったんだけど、その子は泣かなくて、きょとんとしていたから、 笑えた。いや、笑い事じゃないんだけど、きっと本人には何が起こったのかわ かってないんだろうな〜と思ったらなんだか笑えた。その子のお母さんも子ど もの頭さすりながら「なにやってんの〜」って笑ってたし。 で、その後もう一回同じように頭をぶつけたのよ、その子。またしても「ご んっ」って音がして、またしても同じリアクションできょとんとしてる。この 子、いったい何考えてるんだろうな〜って思ったらやっぱりなんだか笑えてき た。もう一度ぶつけて、「ごんっ」っていうのを確認したかったのかなぁ。ま だ言葉もしゃべれないのに子どもなりになんか考えてるんだろうな、と思うと 子どもの奥深さにズブズブとはまってしまう。いろんな子がいて、いろんなこ とを試して、いろんな環境で育ってるんだな、って思うと、子どもひとりひと りがすごく偉大に見えてくる。 私が働いている本屋さんでも、「アンパンマンカラオケ」(←アンパンマンと 一緒に童謡が歌える音の出る絵本。鍵盤とマイク付き。人気商品ながら、現在 生産中止で品切れらしい)で、ひとりコンサートをやって収録曲をほぼ全部歌 っちゃう子とか、店中を走り回ってる子とか、お父さんのことを「ちち〜 (父)」と呼ぶ子とか、握った本をレジでも絶対に離さない子とか、いろんな 子どもがいて楽しい。いったい子どもの世界ってどうなってるんだろう。子ど もから見た大人の世界ってどうなんだろう。 そんな疑問を子どもに聞いてみたという本が『子どものことを子どもにきく』。 3才から10才まで一年に一度、お子さんの隆くんを喫茶店に連れ出して、イ ンタビューしたそうだ。10才くらいになれば大人と同じように受け答えでき るが、3才の隆くんはまだまだ独自の世界にいる。お父さんの質問に大人には 予想もつかないような答えが返ってくる。 インタビューの冒頭で、お父さんが隆くんに「隆の住んでいるここはなんてい う国?」と聞くと、隆くんはわからない。で、「日本ていうんだよ」って教え てあげると隆くんは「日本はおばあちゃんの所でしょう?」と答える。まだ文 字も読めないし、今いるところもわからない(でもおばあちゃんのいるところ は日本だということはわかってるらしい・笑)。それでも子どもはちゃんと生 きていけるのだ。逆にいうと、なんにもわからない子どもにとって、親に守ら れているということがどんなに大切かと思う。なんにもわからなくても、親に 守られていると思えば子どもは幸せに安心していられるのだろう。 3才くらいだと、お母さんのお腹にいたときのことを覚えているらしい。隆く んもお腹の中のことを覚えていた。が、隆くんはなんとお父さんから産まれた らしい。お姉ちゃんは、女だからお母さんから産まれたんだそうだ。男の子は お父さんから産まれると思ってる。面白い。お腹の中はあったかかったそうだ。 お腹の中でテレビを見てい たらしい。妙にリアルだ。 会話の中に「神様」と いう単語がたくさんでてきて、きっと隆くんのなかで辻褄のあわないことはみ んな「神様」の所為にされてるんだろう。子どもってみんな、こんな風に、自 分の世界と外の世界をつなげてうまくバランスをとっているのかなぁ。 個人的には3才から5才くらいまでのインタビューが面白かったけれど、8才 くらいになるとだんだんと将来の夢なんかも語ったりしてて、親としては子ど もの成長を感じられる年令かもしれない。 自分の子どもがいたら、子どもの面白いところをたくさん発見できるだろうけ ど、今はまだそれができないので、この本で摩訶不思議な子どもの世界をちょ っぴり垣間見させてもらった。最後に著者の文章で子どもインタビューのすす めや勘どころが書いてあるので、お子さんがいる方はインタビューを実践した くなるかも。普段の会話とはちょっと違うインタビューという形式で、お子さ んの新たな面を発見できそう。 ___________________________________ ●大根でもいい〜『風と共に去りぬ』 [2001年07月29日(日)] 帝劇でミュージカル『風と共に去りぬ』を観てきた。行く前に散々、ひどい噂 を聞いていたので、どんなにつまらないかと思っていたんだけど、全然楽しか った。 『ローマの休日』と同じ演出家、作曲家だそうで、主役コンビも大地真央と山 口祐一郎で同じ。私は『ローマの休日』はあまり好きではなかったので、今回 も始めからあまり期待していなかった。それに加えてインターネットの各掲示 板での評価も「ひどすぎる」「駄作」などなどマイナス評価が多かったので、 相当にひどいのかと思っていた。 まぁ、山口ファンを熱狂させた『エリザベート』ほどの完成度は期待できない。 あれは、海外のヒットミュージカルだし、うまく日本のミュージカルファン (とそうでない人たち)のツボにハマったんだろう。だから、日本産のオリジ ナルミュージカルがそうそう『エリザベート』ほどの大作と肩を並べられると 思うのが間違い。舞台ってたぶん何度も上演して練り上げられて成熟していく ものだろうから、オリジナルで初演だったら、まだまだダメな部分が多いんだ ろう。私が観た『ローマの休日』も確か、初演のとき。その後の再演ではいろ いろと手を加えられて、改良されているらしいから、今観たらもっと楽しいか もしれない。 『風と共に去りぬ』は原作が好きで、何度も読んでいるので、ストーリーは完 璧。大地真央は気が強くて美人なスカーレットにぴったり・・・だと思ったん だけど、ちょっと、ちゃらちゃらしていて嘘臭い。『カルメン』の時も、気の 強い女だったけど、これもあまりハマっていなかった。大地真央は『ローマの 休日』のアン王女みたいに、純粋なお姫様の方がいいのかも。アン王女はすご くハマっていた。 問題は山口祐一郎。『ローマの休日』のときはちょっとハンサムな俳優さん、 という程度の記憶しかなくて、演技も歌も踊りも特になにも印象に残らなかっ た。『エリザベート』でその常人離れした歌唱力を披露してくれたけれど、普 通の演技はいったいどうなのか?これが今回の見どころだった。祐一郎さんの レット・バトラー。私は密かにミスキャストじゃないかと思っていたんだけど、 これが的中。聞きしに勝る大根役者ぶりだった。歌はうまいんだけどね〜。演 技がぁ〜。 はっきり言って、私の中の理想のレット・バトラー像とは懸け離れていて、そ こここで突っ込みを入れたくなったのだけど、小説や映画と、このミュージカ ルは完全に別モノと考えれば、なんとか観れる。祐一郎ファンとしてはあれで もいいけれど、風共ファン(風と共に去りぬ、略してカゼトモ)としては許せ ないだろうなぁ。あれじゃあね。「遠山の金さん」の遊び人の金さんみたいだ ったぞ。そんな軽〜い男じゃないだろう、バトラー船長は。祐一郎さん、原作 読んでるのかなぁ。役づくり間違ってる。今回のバトラー船長は素の祐一郎さ んのようだった・・・。素を知らないけど。 今回の救いは、メラニー役の杜けあきがとてもよかったこと。メラニーは身体 が弱くて、出産も危ういという役所なので、杜けあきではちょっと健康的すぎ るんだけど、主要な出演者の中で、唯一、芝居も歌も安心して観れる役者さん。 この際、健康的なメラニーでも許す。これは杜さんの所為じゃなくて、キャス ティングの問題だからね。杜さんがでてくるとホッとする。 相手役のアシュレ役は今井清隆さん。歌唱力抜群。芝居はどうかなと思ってい たんだけど、杜さん同様、アシュレ役にキャスティングされた時点でもうどう しようもなくおかしかったので、芝居うんぬんではなくミスキャスト。あんな 体格のいいアシュレはアシュレじゃない。もっとモヤシっ子なのよ、アシュレ は。文学青年でね。意志も弱そうで。なんでスカーレットが魅かれたのかわか らないような、人なの。でも今井さんじゃ、体格が良すぎるし、健康的すぎる。 スカーレットがなんで惚れたか分からないっていうところは、ある意味、あっ てるかもしれないけど。 今井アシュレ、芝居はまぁまぁ。でも杜メラニーと二人のシーンは一番安心し て観れたかも。二人とも歌がうまいし、雰囲気がよかった。主演の二人とアシ ュレ、メラニーカップルを入れ替えたら面白そう。観てみたい。祐一郎さんは、 アシュレの方が合ってるような気がする。今井さんのほうがバトラーっぽいの よね。 全体的には、あの長篇をよく3時間にまとめたなと感心した。ちゃんとお話に なっていた。ときどき説明台詞があるけど、許せる範囲。秋元康さんの作詞も、 特にいいとも悪いとも思わなかったけれど、うまくマッチしていたから気にな らなかったのだろう。セットも綺麗で、特に森の中の風景が綺麗だった。アト ランタ炎上のシーンでは、火薬がパンパン光って、テーマパークのアトラクシ ョンみたいだった。私はちょっとがっかり。もうちょっと芝居で見せて欲しか ったのに、装置に走っちゃったのね。でも一緒に行った友達は大喜びだった。 確かにすごかったけどね、それに見合う芝居をして!って思ってしまった。 『風と共に去りぬ』はやっぱりお話がいいので、それだけで楽しめる。たとえ バトラー船長が大根だろうと、スカーレットがきゃぴきゃぴしていようと、メ ラニーとアシュレが健康的すぎようと、やっぱり風共は風共なのだ。あと二回、 観に行く予定。今回は二階席だったけど、次は一階二列目。もっともっと衣装 とかセットとか、役者さんとか近くで見れる。楽しみじゃ〜。 東宝ミュージカル『風と共に去りぬ』 http://www.toho.co.jp/stage/g-w/welcome-j.html ___________________________________ ●生きる力ってなんだろう〜『千と千尋の神隠し』 [2001年08月01日(水)] 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を観てきた。前評判どおり、期待を裏切ら ない出来。面白かった。 予告編でも使われている冒頭の千尋のブチャムクレ顔がどうしても他人とは思 えない。私も子どもの頃ちょっとしたことで、よくブータレていたから。でも これって、私だけじゃなくて、誰にでも身に覚えがあるんじゃないかな。この 冒頭のシーンが、その後の不思議の町での千尋の冒険を何倍にも引き立ててい る。 雑誌などの宮崎監督のインタビューを読むと、やっぱりこの人ってすごいな、 と思わせるような名言が次々と飛び出してくる。この感じは、手塚治虫さんと よく似ている。手塚さんについても、宮崎監督についても、マニアではないし、 よく知っている訳ではないのだけど、この二人って、インタビュー記事なんか で言っていることが、すごく明確でわかりやすい言葉にもかかわらず、ハッと することを語ってるのだ。私たちの考えていることのちょっと先のことを考え ていたり、世の中をちょっと違う方向から見ていたり、普段私たちが見逃して いるようなちょっとしたところを凄くよく観察していたり。なにかもう、自分 の中でできあがっている世界があって、宮崎監督にはそれがすごくよく見えて いて、その見えたことをきちんと言葉にできるし、映像にもできる。そういう 才能というのはあるんだなぁ、と本当に感心する。 宮崎監督は、現実の世界と、千尋が入り込んでしまったような不思議の世界を 自由に行き来できる魔法使いのような人だ。不思議の世界だけを知っていても、 現実の世界の私達にそれを伝える手段を持って行なければ、その人はただの変 な人だ。不思議の世界と現実の世界は紙一重で、宮崎監督はいつも、現実の世 界というフィルターを通して不思議の世界をも見ているんじゃないかと思う。 千尋が迷い込んだ不思議の町だって、そのモデルは現実の世界にある建物や町 並みだそうだ。そういう現実のものを使って、不思議の町をつくり出して見せ る、それは魔法みたいだ。 主人公の千尋は10才という設定だけど、私はもうとっくに大人なのに、私だっ たらどうするかな、と考えながら見ていた。10才だろうが何歳だろうが、女の 子はずっと女の子の心を持っている。大人だって10才だった時があったんだか ら。10才って許されるギリギリの年令かもしれない。例えば、挨拶がきちんと できなくても、自分の思い通りにならないからってブチャムクレたりしても。 だけど、湯婆の支配する世界では10才だからって甘えは許されない。働かない と動物にされてしまう。千尋は豚にされてしまった両親を助けるためにもがん ばって働く。それは「働かされている」のではなくて、自分の意志で「働いて いる」のだ。親からいいつけられたから働くのとちょっと違う。ブチャムクレ てるだけでは何も解決しない。働くということは、逆に、一人前として自分を 認めてもらうことでもある。認められた時に、自分が自分であるということが すごく実感できる。 今の子ども達って保護されすぎていて、そういうことをあまり感じていないの かもしれない。働かなくてもお正月にはお年玉をもらえるし、夏休みには田舎 のおじいちゃんおばあちゃんからお小遣いをもらえる。お金の本当の価値、働 くことの価値というものを、実感として分かってない。それは私自身も含めて、 分からないまま育ってきてしまった子どもって多いんじゃないかな。そして、 生きてゆくことの価値さえもあやふやなまま成長してしまう。働かなくても生 きてゆける。人生の目標もない。地位や名誉もいらない。ただ生きている。そ うして、生きてゆくことの意味や価値を感じられないまま大人になってしまう 子どもたちもいる。 そう思うと、働かなくては生きていけない世界(千尋のいた現実の世界)と働 かなくても生きていける世界(千のいた不思議の世界)、どちらが正常なのか わからなくなる。ふたつの世界は背中合わせで、私たちのすぐ近くに不思議の 世界はあるような気がする。そして、どちらが本来あるべき姿なのか、ときど き考えてみる必要もあるかもしれない。 とは言っても、この映画、なにげな〜く見て十分に楽しめる。千尋は美少女で はないけどとっても可愛いし、登場人物たちも個性的で人間臭い。悪役はいな い。一見悪役でも、完全な悪いヤツはいないのだ。どこか懐かしい風景、ホッ とする景色、美しい絵。宮崎監督十八番の躍動感のある飛行シーンも大好き。 小さい頃に見ていた『アルプスの少女ハイジ』や『未来少年コナン』のような 安心して見ていられるアニメを思い出す。 宮崎監督の関わっていた作品一覧を見てみると、私が子どもの頃に見ていたア ニメ作品のほとんどが載っている。「えっ、これも宮崎駿だったの?」ってい うような作品もある。私たちの年代って、宮崎駿のアニメを見て大きくなった のだ。典型的な宮崎世代。その後の世代だと、映画の『風の谷のナウシカ』や 『となりのトトロ』を観ているのだろうけど、私は毎週『未来少年コナン』を 楽しみにしていたし、『アルプスの少女ハイジ』の夕方の再放送も3回は見た。 今は、毎週放送の名作アニメがなくなってしまって、すごく寂しい。ビデオで 宮崎アニメを観るのもいいのだが、毎週30分のお楽しみというのもまた復活し ないものかしら。次世代の宮崎駿は登場しないのかなぁ。 とりあえず、日曜日の夜の『世界名作劇場』の復活を期待。そして、内容も充 実したものにして欲しい。子ども向けじゃなくて、大人も楽しめるものをね。 打ち切り前の作品は結構ひどかったので、復活するときには是非完成度の高い ものを放送してもらいたいものだ。でなければ昔の再放送でもいい。名作アニ メがなくなってとても寂しい思いをしている。ポケモン、ハム太郎を作る勢い で名作アニメ、作ってくれないかなぁ。 ___________________________________ ●あまりにも残酷〜『タイタス』 [2001年08月04日(土)] 映画『タイタス』を見た。ビデオだったけど、3時間の大長編で少々疲れた。 脚本・監督は『ライオンキング』(日本では劇団四季がロングラン公演してい る)の演出家ジュリー・テイモア。シェイクスピアの37本の戯曲の中でももっ ともマイナーだと言われる『タイタス・アンドロニカス』が原作。 主演のアンソニー・ホプキンスは好きな俳優のひとり。渋い演技は見ていて安 心感がある。 原作では古代ローマが舞台だが、映画では時代も国も架空のもののように作ら れている。衣装は現代的なものから古代風のものまで様々だし、建物や小道具 もどこの国とも特定できないようなもの。冒頭で古代ローマ風の軍隊が登場す るが、いきなりゲームセンターのゲームがでてきたり、武器として銃が使われ たりしている。乗り物も、『ベン・ハー』にでてくるような馬が引く戦車がで てきたと思えば、自動車が走っていたりする。不思議な世界だ。 それでいて、ストーリーは矛盾なくきちんと進んで行く。しかし、あまりにも 残酷。復讐が復讐を生む物語で、いったいどうなるんだろうとドキドキするの だけど、タイタスの娘は両手と舌を切られて強姦されてしまうし、タイタス自 身も謀略によって片手を失う。二人の息子も殺され、生首になって戻ってくる。 そして、タイタスに復讐される悪女タモラは自分の息子の肉を食べさせられて 殺される。しか し、タモラ自身もタイタスに自分の長男を殺された恨みから復讐に及んだ結果、 さらにタイタスから復讐されるという、なんとも救いのない話。 映像は美しいが、そのストーリーの残虐さで好きにはなれない。この映画が好 きな人は美しい映像で残酷なストーリーを描くというところが好きなのかもし れないけれど。そういえば、スタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオ レンジ』も映像はきれいだった。でもストーリーがまったく好きになれず、い い映画だとは思えなかった。 シェークスピアの作品は、この作品ほどではないにしても、悲惨な場面がたび たび登場する。『ロミオとジュリエット』だって最後は二人とも死んでしまう し、『ハムレット』でも最後はハムレットを含めて一家皆殺しだ。『タイタス』 にでてくる悪女タモラは『マクベス』のマクベス夫人に似ている。欲望をみた すために殺人も厭わない。マクベス夫人は狂気に走るだけまだマシかも。『マ クベス』も悲惨すぎてあまり好きな作品ではない。こうなるとシェイクスピア の喜劇が見たくなる。喜劇はあまり見たことがないから、これからは喜劇を見 てみよう。『から騒ぎ』『真夏の夜の夢』・・あとは何があるかな。戯曲を探 してみることにする。 『タイタス』 http://www.gaga.ne.jp/titus/ ___________________________________ ●未来少女の大活躍物語。かな?〜『ルー=ガルー 忌避すべき狼』                         [2001年08月05日(日)] 『ルー=ガルー 忌避すべき狼』京極夏彦/著(徳間書店) http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=p-akane01465&bibid=02030121 今から三十年くらい先の未来が舞台。京極夏彦が近未来小説!?なんて似合わ ない組み合わせ。しかも表紙もあまり好きじゃない。イラストが好きじゃない のか、装丁がダメなのか・・・と表紙を捲ってみたら、そこには「ブックデザ イン/祖父江慎」の文字が。祖父江慎さんと言えば、今をときめく装丁家。名 前が一緒だから気になる存在だ。この人の装丁、奇抜なのよね。(ちなみに祖 父江慎さんは そぶえ・しん さんと読む。) 大昔(って私が子どもの頃だから10年か15年くらい前)はよく少女向けコミッ クの見返しに「装丁 祖父江慎」って書いてあって、子どもながらに同じ名字 の人だぁと感動した。同じ名前くらいでどうしてそんなに感動したかっていう と、私は未だに親戚以外で同じ名字の人に合ったことがないから。父方の親戚 も、遠くにいるのでここ数年、家族以外で、同じ名字の人には会っていない。 だからなんだか、同じ名字の有名人が活躍していると嬉しくなってしまう。 で、『ルー=ガルー』の表紙はちょっと嫌なんだけど、コミック版の『陰陽師』 の表紙は結構好きだったりする。他にもいろんな本の装丁を手掛けている。気 をつけて見ていると、おお、これも祖父江慎さんの装丁だったか、と思わぬと ころで名前を発見することもよくある。 そんなこんなで、この本はあんまり期待しないで読みはじめた。予想は少しあ たっていて、前半はどうもありきたりな未来の描写が多くて、あまり現実味が ない。子どもたちは、学校に行かず、家でモニタに向かって勉強し、週に一回 はコミュニケーション研修に通い、同年代の子ども達と触れあう。つまり、普 段は人と会うことがあまりにも少なくなってしまっているので、強制的にコミ ュニケーションのとり方を学習させられているらしい。すべての情報はコンピ ュータで管理されていて、個人にはIDが与えられ、IDカードと個人用端末 がなければ何もできない。そんな未来。なんだか暗い。映画『A.I.』に出て くる未来も暗かったし、この本の未来も暗い。私としては、逆にもっと自然に 還るような未来になっていて欲しかった。コンピュータや科学技術を上手に使 って自然回帰してたらいいのに。 そんな未来でも連続殺人事件は起こる。この事件に巻き込まれてゆく14才の少 女たち。環境は変わっても少女たちの中には熱い血が流れているし、心だって ちゃんとある。いろんなことを考える。行動する。現実感のない現実で暮らし ている少女が本物の、嘘っぽいけど現実感のある世界に踏み込んだ時、いまま で感じられなかったものを感じ、リアルな世界を知る。途中からどんどん引き 込まれていって、物語の後半は一気に読んでしまった。ごちそうさまでした。 という感じ。 前半の無機質な描写は後半になって生きてきている。京極夏彦の作品って、リ アルっぽいけれど、どこか虚構の世界で、うそっぽくて、でも嘘のなかに真実 が隠れているようで・・・。今回もそんな感じだった。それにしたって、「少 女」の話を書く作家というイメージはない。『魍魎の匣』で美少女が登場した ときにもちょっと吃驚したけど、今度はまるっきり少女たちが主人公だ。京極 夏彦の描く少女は凛々しい。凛々しくて弱い。弱いのとは違うか。未完全だ。 だから描き甲斐があるのかもしれない。 三十年後にこの本のような世の中になっているとは思えないけど、こうならな いで欲しいという願いもちょっとあるのかな、と思ってしまった。 大極宮(京極夏彦、宮部みゆき、大沢在昌の公式ページ) http://www.osawa-office.co.jp/ (茜音「日々のほのぼの」より) http://akane.pos.to/akane/f/honobono.htm ___________________________________ --更新情報-- ★茜音 http://akane.pos.to/ トップページのカレンダー更新しました。9月は花と空です。 (2001/09/01) ★ぱんだ雑貨店 http://akane.pos.to/sozai/ 花の壁紙4点追加しました。 (2001/09/01) ★いるかプロジェクト http://akane.pos.to/iruka/ 【いるマガ】バックナンバー随時追加してます。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  発行■そふえのりこ(祖父江典子)     【茜音】     【アトリエの屋上BBS】       「茜色通信」HP■登録、解除、変更はこちらから。    「茜色通信」は、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して  発行しています。    【いるマガ】っていうメールマガジンもやってます("o")/~~~    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