『ウェストサイド物語』劇団四季 四季劇場秋 演出・振付:ジェローム・ロビンス 音楽:レナード・バーンスタイン 作詞:スティーブン・ソンドハイム 台本:アサー・ロレンツ 出演:松島勇気、鈴木涼太、笠松はる、団こと葉、加藤敬二、横山清崇、柴田桃子、緒方愛香、松野公昭、荒木勝、青羽剛ほか
劇団四季の『ウェストサイド物語』を観てきた。四季版はオリジナルを忠実に再現しているらしい。映画も観たことがないので、ストーリーも含め、この有名な作品がいったいどんなものなのかという興味津々で観に行ったのだった。
冒頭の抗争シーンから、ダンス。喧嘩のシーンが振付になっているのね。面白い。
元ネタはシェークスピアの「ロミオとジュリエット」だというのは知っていたので、大筋はわかるのだけど、細かいところは知らなかったので、はぁ、こういう話なのかぁと思いながら観ていた。
ダンスパーティーで二人がひとめで恋に落ちる。おいおい。
そしてあっという間にラブラブバカップルに変身。ミュージカルといえばバカップルよね。うんうん。
それにしても一晩で結婚まで行くのか。思いこみが激しいにも程がある。しかし、それがミュージカル!
そしてなんだかんだで行き違いがあって、人が死んだりして最後にカップルの男性のほう、トニーが死に、女性のマリアは生き残るのだった。女は強いね。結末は「ロミオとジュリエット」とはちょっと違う。そこが現代風。
現代って言っても、この話の舞台になった頃の時代はもうかなり昔。ギャング団の抗争も人種的なものが絡んでいるし、ののしり合いの台詞もかなりぎりぎり。そういう社会的な背景ってのは日本人だし、現代だし、よく分からない部分もあるのだけど、あの時代の雰囲気っていうのは伝わってきて、衣装だとか振付だとか音楽だとか、なんとなくレトロな感じが心地いい。
一定の年数を経て、ファッションの流行は繰り返すというけれど、古さを超えて、新鮮な味わいがある作品に感じられたのだった。
ほとんどサプリメントとアルコールと水だけで生きている女性。ときどき訪ねてくる編集者。兼、彼氏。そして彼の婚約者。職業はパティシエ。
タクシーの運転手を相手に婚約者のフリをしてみる。パティシエのフリをしてみる。自宅でお菓子を作ってみる。
とてもとても病んでいる。そして、最後に種明かし、らしきものがあるのだけど、真相はよくわからないままだった。あれがこうで、それがああで、あれ? これはこうだった? なにが本当で、なにが妄想なの。彼女はいったい何者だったの。彼はいつからそこにいたの。あの床の赤い染みは…。
すべてが彼女の妄想だったのかもしれない。これって夢落ち? それでも全然構わないけれど。
最初に登場する語り手の女性は結婚一年目。夫と一緒に海外旅行から帰る飛行機の中から物語が始まる。物書きを生業としているらしいその女性は、編集者から「オートフィクション」の執筆を依頼される。
そして、どうやら話はさかのぼり、語り手の女性の年齢はどんどん若くなってゆく。同じ人物なのだろうけれど、それも、どうでもいいような気がした。
どこからが「オートフィクション」なのか。どうでもいいのだけど。
どうでもいいのだけど、金原ひとみの作品は妙に心に残って、好きなのだ。文章のリズムが心地良いのかも。
ゆがんでいて、ひずんでいるんだけど、どこかピュアな感じ。社会とはうまくやっていけないのだけど、それはそのピュアな部分ゆえというか。生き方がシンプルなのかもしれない
そう、人間とも社会ともうまくやっていけなくて、どこか逸脱してしまう人たちに共感というか、なにかちょっと憧れる。
きっと、社会でうまくやっている人たちというのは、金原作品に登場する女性たちが持っているピュアな部分というのを捨ててしまっているのだ。そんな気すらしてくる。
原爆投下から10年。ヒロシマで生き残った人々は心になにか後ろめたいものを抱えながら毎日を過ごしている。悲惨な死に方をした人々がいるというのに、自分だけ幸せなってもいいのだろうか…。
しかし、そんな思いを乗り越えて愛する人と巡り会い幸せを見つけられたかに思えた皆美も原爆症で命を落としてしまう。10年経ってもまだ人を殺し続ける兵器。
十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?
死んでゆく皆美のこの台詞に涙が止まらなかった。
そして、現代。被爆者やその子どもたちへの差別。終わらぬ原爆の悲劇。淡々とした物語の中に、とても大きなメッセージが込められているのだった。
あの戦争の記憶が人々の中から薄れていく昨今、私たちが責任を持って語り継いでいかなければならないのだと改めて考えさせられた。
パニクリさんとかぼす君―マイセラピー犬・かぼす君と癒しの日々ワヤン浜野(著) 集英社 ¥ 1,260 [単行本] 2007-09-26 ISBN:9784087813814 / ASIN:4087813819 |
そんなパニクリさんを救うために一頭のボストンテリアがやってくる。その名もかぼす君。パニクリさんを癒してあげたいかぼす君なのだけど、さまざまな試練に自分がパニクってしまう毎日。
もともとは人気ブログ。本では写真に吹き出しがついてコミックのようになっている。
外出できなかったパニクリさんが、かぼす君と初めてのお散歩に挑戦するのだけど、かぼす君は恐怖のあまり歩けない。そして、毎日少しずつ遠くまで行けるようになって、ついに目標だった橋の向こうまで行くのだ。そこにはたくさんのお友達が待っていた。
我が家にチワワの小太郎がやってきたのも、私の病気が理由。小太郎の存在にどんなに救われ、癒されたことか。パニクリさんとかぼす君の関係も、どんなに強い絆で結ばれているかもよくわかるのだった。そして笑いながらもなぜか涙がでてきてしまう。
小さなワンコでも、家族にとってはとっても大きな存在なのだった。
ボストンテリアかぼす君のパニクリ オフィシャル サイト
http://web.mac.com/wayann/Boston_Terrier_Kabosu-kun_Panicri_official_site/TOP_PAGE.html
決定版 がん休眠療法―個人差重視の抗がん剤治療革命 (講談社プラスアルファ新書)高橋 豊(著) 講談社 ¥ 840 [単行本] 2006-03 ISBN:9784062723664 / ASIN:4062723662 |
今の抗がん剤治療に問題があるのは確か。だが、医学の発達は日進月歩。新しい抗がん剤が次々に開発、承認され、いままでは治療が難しいとされていた癌にも治療の道が開けたことも事実。やみくもに抗がん剤を拒否していては、助かるものも助からない場合があるようだ。
しかし、素人には、拒否すべき治療と、受けるべき治療の見極めは難しい。やはり全国の医療施設で同等の質の高い抗がん剤治療が受けられるようになるのが理想だ。それにはまだ数年の時間がかかりそう。
休眠療法というのは、抗がん剤を使った治療法ではあるのだけど、癌の完治や縮小を目指すのではなく、大きくならないことを目指す。もちろん、治療の結果、癌が縮小すれば言うことはないのだけど、従来よりも少ない抗がん剤で、がんの増大をくいとめてうまく共存することができれば、副作用に苦しむことなく日常生活が送れるのだ。
例えば、最近は種類も増えてきているという経口抗がん剤や、週に一度の点滴など、入院しないでも少量の抗ガン剤を継続して投与することで癌の増大を食い止めることができる場合があるらしい。
また、ある種類の抗がん剤が効かなくなっても別の種類の抗がん剤を投与、そしてそれが効かなくなったらまた別の種類…と続けていくことで余命を伸ばすことも可能だそうだ。そのためには、使える抗がん剤の種類が増えることが重要だそう。まだ認可が下りていない薬も多いので、そういうものも使えるようになると選択肢が広がるらしい。
抗がん剤の投与量というのは、現在の一般的な医療機関では、人間の耐えうる最大の量をどの人にも投与するらしい。しかし、抗がん剤はアルコールと一緒で、その分解能力には個人差がある。だから副作用の出方も人によって違う。それを無視していきなり多量の抗がん剤を投与してしまうから、ときには激しい副作用で命を落とす人まで出てくるのだ。
個人差を無視して投与するやり方がいままでの主流だったということ自体が信じられないのだけど、それが現実らしい。この本では、個人にあった量の抗がん剤を投与することが大前提になっている。
しかし、休眠療法的な治療をしている病院や医師はまだ限られているようで、全国どこでもこのような治療が受けられるわけではないらしい。医師にお願いしてもやってくれない場合もあるようだ。
私の感じでは、今後はこういう「体にやさしい」抗がん剤治療が主流になっていくような気がするのだが、今はまだ、患者側がそういう治療をしている医師を捜して治療を受けなければいけない状況。どこの医療機関でも受けられる平均的な治療法となるのはまだ先のようだ。
間違いだらけの抗ガン剤治療―極少量の抗ガン剤と免疫力で長生きできる。 (ベスト新書)梅澤 充(著) ベストセラーズ ¥ 840 [新書] 2006-02 ISBN:9784584121061 / ASIN:4584121060 |
著者の梅澤医師は少量の抗ガン剤による治療を独自に行っている。副作用はほとんどなく、入院する必要もなく通院での注射や点滴による治療。日常生活も普通に続けられる患者にやさしい治療法だ。しかも、延命効果も高い。
しかしまだそのデータが少なかったり、なぜ延命効果が高くなるのかという理由がよく分からない部分もあるらしい。
将来的にはこのような治療法が大病院でも受けられるようになるといいと思うのだけど、それはまだ先のようだ。
現在の抗ガン剤治療では腫瘍の縮小イコール延命という考え方のようだけど、強い抗ガン剤治療で、体力や免疫力を落としてしまっては、縮小した腫瘍が治療後に瞬く間に大きくなってしまう。
少量の抗ガン剤治療で、腫瘍は小さくならずとも増大しないようにコントロールすることができるらしい。うまく共存できれば、最期までその人らしい生き方をすることができるだろう。自分が癌になったら、こういう治療を受けたいと思った。
しかし、抗癌剤の専門医というのは少なく、それぞれの患者、それぞれの癌にあった抗癌剤を副作用を最小限に抑えて適切に使うことができる抗癌剤の専門医というのは少ないようだ。
そのため、未だに副作用に苦しみ、しかも治療効果があまりないという場合も多々あるのだろう。
闇雲に抗癌剤を拒否するのは逆に命を縮める結果になる可能性もあるということは分かったが、その医師が適切に抗癌剤治療を進めてくれる医師かどうか患者として判断するのは難しい。
この本では、様々な症例が紹介されていて、いかに抗癌剤がよく効くかということが書かれている。たしかに、この通りならば延命効果もあり、副作用も考えていたような悲惨な状態ではないようだ。
しかし、ハードな治療という印象はぬぐえない。
ひとつの抗癌剤が効かなくなったら別の抗癌剤。それもだめになったらまた別の抗癌剤というように次々とたすきを繋げてゆけば延命できるという。
しかし、患者側からしてみれば、今使っている抗癌剤がいつ効かなくなるかとどきどきしながら日々を過ごし、少ないとはいえ副作用にも耐えながら生活せねばならない。
生きる意欲が高く、能動的な人ならば、こういう治療法は向いているのかもしれないけれど、もう少しのんびりした性格の人は耐えられないのではないかと思った。
結果的に、この本の著者の平岩医師のもとに残って治療を続けている人の症例が載っているわけで、その人たちは確かに延命効果が高かったのだろうけれど、この治療法について行けない患者さんたちのデータはない。
そして、治療の経過と効果はわかるのだけど、患者さん側の話はまったくないのでどのような生活を送っているのかはよく分からない。著者によれば、普通に仕事を続けて日常生活を送っているとは書いてあるのだけど、やはり病気の前とあとでは違うことも多いだろう。
抗癌剤治療の現状や問題点はよくわかったが、なんとなく、患者さんの精神面とかソフトな部分を思いやる気持ちがあまり感じられない本だった。
いやはや。やられた。
うんうん、確かに面白いよ。と最初から一気に読み進めていたら、終盤で衝撃の事実が判明。うぉー。このミス1位の理由はこれかぁ。と思わず叫びたくなってしまった。
いったい、どこからどう騙されていたのだ。
読了後に再度冒頭からぱらぱらと斜め読みしてみたら、明かに意図的に騙す仕掛けがあちこちに…。確信犯か(そりゃそうだろう)。それにしても巧妙に、よくできた仕掛け。はぁ。もう言葉もでませんよ。
この衝撃は映像化は難しい。小説ならでは。
しかし、この仕掛け抜きでもストーリーは面白いので、映像化もしてもらいたいなぁ。悪徳催眠商法会社の悪事やヤクザの虐殺事件の真相をあばくトラちゃんの活躍はそれだけで痛快。真相を知ればますますトラちゃんのハッスルぶりに頭が下がるのだった。
医学は日進月歩。治療法は数年で格段の進歩を遂げている。当時は治らなかった癌も、今は治せたり、昔は「医師におまかせ」だったのが、今では「説明と同意(インフォームド・コンセント」が当たり前になったり。看護師という言葉も、最近やっと普通に使われるようになってきたが、この本では看護婦。以前はこれでなんの違和感もなかったのだから不思議。
著者は長年外科医として癌治療に携わってきて、五十代半ばで自らも大腸癌を患う。そこで、患者としての立場に立ってわかったこと、そして医師として多くの患者と接してきて感じたことなどがこの本には綴られている。
前半では自らの闘病についてや、同僚医師らの癌闘病と死の様子などが語られる。患者本人に徹底的に病名が伏せられる様子(ときにはカルテや検査結果の改ざんもいとわない)は、とても容認しがたいのだけど、当時としてはこれば普通だったのだろう。
私自身はこれが患者への「思いやり」だとは思えないのだけど、著者としては深い「思いやり」からの行為だ。それを受け取る側(患者)も医師の「思いやり」を痛いほど感じ、本当の病名を隠されているのではないかと疑いながらもあえて問い質そうとはしない雰囲気も感じる。
医師側としては、本当の病名や余命を知らせることで患者が落ち込むのではないかという懸念をしているのだが、たとえ落ち込んでも、そこから立ち上がれる人は多いはずだ。そして、その後の生を慈しみ大切に生きることができるのではないかと思う。告知しないということは、そういう権利を医師の一方的な「思いやり」で患者に与えずに死を迎えさせることになり、それはとても残酷なことだと思う。
しかし、告知することによってパニックになったり、うつ状態になることも十分考えられる。そのために精神科医などと連携してメンタルケアをする必要性は感じる。告知することやその後の精神面でのサポートなどをすべて外科医や内科医に任せるのは荷が重すぎる。告知しない、というのはその後のサポートなどに手が回らないという側面もあったのではないかと思う。
後半では、著者が内戦後のビアフラで医療活動をした体験が語られてる。まともな医療設備がない状態での診察や手術。ネイティブドクターと呼ばれる祈祷師による治療によって適切な処置を受けられなかった患者や、日本では見られない狂犬病の患者の処置、戦争による銃創などのけが人、極限状態ともいえる場所での医療活動。
こういう活動を経験しているからこそ語れる生死感があるのだろうと思えた。手の施しようのない狂犬病患者を見捨てるしかない状況、毒蛇に噛まれた手を切断する手術を拒否して死んでいった若者、カルテに残る各国の医師の記述、現地の人々の純粋さ。
日本の医療現場の話では、移植医療についても触れられていて興味深かった。移植の必要性を感じる気持ちは痛いほどわかるが、著者としては臓器移植には反対であるという。脳死移植ではまだぬくもりのある、心臓の動いている人間から臓器を取り出すのだ。生体移植でのドナーの体に及ぼす影響はよくわかっていない。移植医療に関しては読みながらとても共感した。
少し昔の話なので、最新の医療の現場とは多少ずれているのだけど、医療と生と死について、考えさせられる一冊だった。医師として、診察を受けたいかどうかと訊かれるとちょっと考えてしまうのだけど(告知でウソをつかれるのはつらい)、著者の竹中医師は人間として尊敬できる方ではないかと思ったのだった。