何度も見たい◆『ライオンキング』劇団四季
2009/05/21(木)

『ライオンキング』 劇団四季 四季劇場 秋 作曲:エルトン・ジョン 作詞:ティム・ライス オリジナル演出:ジュリー・テイモア 出演:鄭雅美、早川正、明戸信吾、栗原英夫、間聖次朗、川島想妃愛、髙島田薫、太田浩人、遠藤剛、黒川輝、福島武臣、田中彰孝、田村圭、西村麗子ほか

母と観劇。前から2列目のセンター。ど迫力。「ライオンキング」は舞台から離れた席だと化粧やコスチュームで役者さんの表情が見えないのだけど、今回は役者さんの表情まではっきり見えてよかった。

装置やコスチュームの細部もよく見えた。やっぱり前のほうがいい。田中彰孝さんのシンバは2回目。みずみずしくて素敵。

演出は、相変わらず大部分はいいのだけど、ときどきおかしなところが…。そういうものも含めて「ライオンキング」なんだけど。メスライオンたちが泣くシーンはシリアスなシーンなのに何度見ても笑ってしまう。私だけじゃなくて、後ろの席の女性たちも思わず吹き出していた。

若い2人(2頭?)が愛を育むシーンも、当人たちの周りで数組の半裸(というか肌色の全身タイツ)の男女がめくるめく愛のダンスをくんずほぐれつ絡み合って踊っている。生身の人間がやると生臭〜い感じがしてしまう。日本人だから?

しかし、エルトン・ジョンの音楽は好きなので、何度見ても楽しめる。そのうちまた行こうと思った。

『ライオンキング』
http://www.shiki.gr.jp/applause/lionking/

劇団四季
http://www.shiki.gr.jp/

ライオン・キング ミュージカル

 劇団四季ミュージカル・オーケストラ(演奏)
エイベックス・トラックス
¥ 2,854 [CD]
ISBN:4988064120055 / ASIN:B00003IQK1

最後にぐっと…◆『容疑者Xの献身』演劇集団キャラメルボックス
2009/05/14(木)

原作: 東野圭吾『容疑者χの献身』(文藝春秋刊) 脚本・演出:成井豊 出演:西川浩幸、岡田達也、西牟田恵、斎藤歩、川原和久、大森美紀子、前田綾、三浦剛、筒井俊作、實川貴美子、石原善暢

小説はだいぶ前に読んだ。ドラマ化されるもっと前、直木賞を取ったあとくらい。そのあと、ガリレオシリーズがドラマ化されて、さらに映画化。「容疑者Xの献身」がガリレオシリーズだということは、読了後に知って、それ以前のガリレオシリーズはドラマ化のあとに読んだ。

なので、時系列バラバラだし、あまり記憶が定かでなかったのだけど、キャラメルの舞台は映画(まだ見てない)よりも原作に忠実らしい。普通に面白かった。そういえばそんな話だったなぁ、という感じ。

サスペンスだけど、最後にぐわっと泣かせどころがあって、そこはさすがキャラメルだと思った。油断してたのでぐっと来てしまった。

『容疑者χの献身』
http://www.caramelbox.com/stage/yougishax/

演劇集団キャラメルボックス
http://www.caramelbox.com/

容疑者Xの献身 (文春文庫)

東野 圭吾(著) 東野 圭吾(著)
文藝春秋
¥ 660 [文庫] 2008-08-05
ISBN:9784167110123 / ASIN:4167110121

容疑者Xの献身 スタンダード・エディション [DVD]

 西谷 弘(監督)、福山雅治(俳優)、柴咲コウ(俳優)、堤 真一(俳優)
ポニーキャニオン
¥ 3,990 [DVD]
ISBN:4988013756243 / ASIN:B001OF63WE

スカッと痛快◆『ウェブはバカと暇人のもの』
2009/05/02(土)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

中川淳一郎(著) 
光文社
¥ 798 [新書] 2009-04-17
ISBN:9784334035020 / ASIN:4334035027
書店でタイトルを見て膝を打ってしまった。だって、まさに私が思っていたこととドンピシャ。いえね、だいぶ前から気付いていたのよ。ウェブなんてくだらないものだらけ。忙しい人はネットにどっぷりはまったりしない…って。私が書くブログのネタでアクセス数が多いのは料理とペット、それとデジモノ関連。読んだ本の感想だとか演劇や映画の感想は料理やペットネタに比べるとがくんとアクセス数が落ちるのだ。ましてや美術展の感想なんて惨憺たるもの。アクセス数だけ稼ぎたいなら、美術展の感想なんて書くだけ無駄だとすら思える。

料理とペットと言ったって、そんなに特別なことを書いているわけではない。誰にでも思いついて、そこらへんの家庭で作っているような簡単なレシピを載せたり、どこかで食べた料理の写真を載せたり、ただかわいいだけの犬の写真を載せたり、どっかに行った旅行記を載せたり。そういう記事のアクセス数が伸びると、「ああ、私のブログを見てる人々というのは小難しい理屈を並べた文章や、何か役に立つ情報を求めているわけではなく、ただなんとなくさらっと読めるもの、おいしそうだと思えるレシピ、単純にかわいい~と思える(癒される?)画像を求めているだけなのだ」と痛感する。

それがいけないわけではないのだけど、せっかく専門的な知識を駆使して書いた文章もたいして求められてないんだと思うとちょっと凹むこともあった。考えてみれば、私の「専門的な知識」なんて、世に出ている専門家が書いた専門書に比べたらゴミみたいなものだから当たり前と言えば当たり前なのだった。

ブログを始めて数ヶ月後には、要するに、個人のブログに求められている物というのは、(くだらないとまでは言わないが)「たいして価値のない物」「どうでもいいもの」言い換えれば「暇つぶし」なのだと悟った。つまり、ネットというのはそんなに高尚な物ではなくて、庶民の暇つぶしの道具なのだ。

そうか、それならそれでバカになってやろうと思う。同じアホなら踊らにゃ損々ということで。ひとりでバカなことを書いているよりはバカを共有したほうが楽しい。ネットのヘビーユーザーというのは、今更指摘されなくともそういうことを分かっていると思う(そこまでバカではない)。わかってて踊ってる人が大多数。そのなかで分かってない人が少数派。その少数派が本当のバカをするのかもしれない。

もちろん、インターネットというもの自体はとても便利なものだと思う。無料で簡単に情報収集ができるし、遠方の友人とも即座に連絡が取れたり、家に居ながらにしてショッピングができたり。が、そこに集ってあれやこれや書き込んだりしている人たちは玉石混淆。非常に頭がよくて意識が高い人たちも、もちろんいる。しかし、大多数は「バカと暇人」だという著者に「同感!」と思わず手を挙げてしまいたくなるのだ。「バカ」というのはキャッチーな言い方だと思うが(新書のタイトルはキャッチーでないと売れない)、要するにくだらないことが好きな人たちが大勢集まっているのだと思う。ネットで高尚なことをやろうとしても失敗するというのは、長年ネットにどっぷり使っている身としては感覚的にとてもよく理解できる。

なかには頭がいい人だって少なからずいると思うが、どっちにしろ、バカなことが好きだったり、くだらないことで大喜びする人たちなのだ。お笑い番組を見てガハガハ笑ってストレス発散している人たちとよく似ている。それは実にくだらないけれど、別に悪いことではないし、堂々と「趣味はお笑い」と言うのと一緒で「趣味はインターネットです」と言ったっていい。

こういう人たちは、ネットに高尚ななにかを求めているわけではなく、ただ単に面白いもの、暇つぶしになるもの、ストレスを発散させてくれるようなもの、荒んだ心を癒してくれるようなもの(動物の写真とかちょっといい話とか)を求めているのだ。

そして、ブロガーと呼ばれる人たちやネットのクチコミに貢献するヘビーユーザーというのは大半がこういう人たちなのではないかと思う。

ネットの世界をよく知らない人、例えば大企業のエライ人なんかは簡単に「ネットを使えばなにか新しいこと、すばらしいことができるのではないか」という“ ネット幻想”を持っている人も多いのかもしれない。そして人気のブロガーたちは流行に敏感で先鋭的な感覚を持っている、なにか特別な人たちだと思っているのかもしれないが、大多数のブロガーというのはきっと、面白いこと、くだらないこと、どうでもいいけどちょっと暇つぶしになったりちょっと癒されたりするようなことを書いているのだ。そうでないとアクセス数が伸びないから、人気のあるブログほどこの傾向は強いと思う。

小難しいことを書いていて人気もあるというのは、ある一線以上のレベルの高い記事を書いているブログである。こういうブログの筆者は、ブログを抜きにしてもその世界で一定の評価をされている本職の人たちだろう。だから、すでに有名人である可能性が高い。まったく無名の人が評価されることもあるかもしれないが、評価された時点で著名人の仲間入りをするだろうから無名の人が無名のまま小難しいブログで人気を得るということはあまり想像できない。

この本は、「バカ」や「暇人」を揶揄しつつも、ネット世界にどっぷりつかっている著者自身の自嘲も籠もっている。そしてその実は、企業イメージを壊さないようなキレイゴトの企画でネットユーザーたちの心をつかめという無理難題を突きつける、ネットをよくわかってない大企業のエライ人たちに向けて「ネットなんてくだらねーんだよ、バーカ!」とケツを捲っている本なのだ。…と思う。

ブログを毎日書いている私も暇人の一人であるが、他人のブログにコメントをつけまくっている(これをやるとお返しコメントがつくので自分のブログのコメントも増える可能性が高い)人たちや、SNSに常に書き込みしている人たちも相当な暇人だと思う。自分のことは棚に上げて、あなたたち仕事してるの? 子育ては? 家事は? と聞きたくなるのだ。そして、よくよく見回すと、本当に忙しい人(ブログに書くネタには一生困らないだろうと思えるような人)たちは“忙しすぎて”ブログを書いたり、ネットを見たりする余裕すらない。というかリアルな生活が充実しているからブログで何かを発散したり素人の他愛のないサイトをじっくり読んで充電する、なんて必要性がないのだ。そういう人たちにとって、ネットはただ単に情報を得るだけのものだったり、友人と連絡を取る手段だったり、ネットショッピングの道具だったりするのだろう。

本の中には書かれていないが、私の実感としては「暇人」のなかにはかなりの割合で「病人」が含まれている。私もその一人。病人は暇なのだ。心や体を病んだ人たちが簡単に情報を収集したり交換したりする手段として、ネットは非常に有効だ。簡単に外出したり、フルタイムで仕事をしたりできない、通常の方法では社会参加が難しい人たちがネットに依存する率が高いのは当然だと思う。ネット以前はそういう場がなかった。だから、そういう意味ではまだまだそこにのりしろがあって、ネットの可能性があると思う。

ネットの世界というのは現実世界の縮図ではない。ネットのヘビーユーザーの属性を詳細に調べればそれはわかると思う。現実社会に比べ、主婦層など時間が余っていてある程度コンピューターの知識がある人たち、それとパソコンなどデジタル関係に詳しかったり感心が高かったりする人たち、そして病人の割合は高いのではないかと思う。とりこぼされているのは、デジタルに疎い高齢者層、まじめにきっちり働いていて精神的、時間的にネットを見る余裕のない人たち(実はこういう人たちが企業が想定する一番の購買者層なのではないかと思う)、それとネットに繋ぐためのハードやソフトにかける資金の余裕がない人たち。インターネットの世界というのは、偏った属性の人たちが集まる場所である。

本の中に、テレビとネットのヘビーユーザーはかぶっているという記述があって、なるほどと思った。どちらも基本的に無料。新聞や雑誌は有料の情報なので、ネットユーザーとはかぶらないそうだ。だから、テレビ発の情報はネットにあふれているが、新聞や雑誌が発信源の情報というのはネットにはほとんどないらしい。そう言われてみればそうかも。

私は以前から、紙の新聞も書籍もなくならない、と言っているのだけど、それを裏付けるような説でかなり心強い。新聞や雑誌を買うのは、ネットを見ている暇がなくて情報に対してお金を払ってもよいという人たち。一方、ネットのヘビーユーザーには「無料」というところが肝心なのだ。

そう考えると、ネットでの有料サイトというのはどうもうまくいかないだろうと想像できる。他の人はどうなのかわからないけれど、私の場合は、有料サイトと契約するよりは、紙媒体の新聞や雑誌を定期購読するほうがいい。信頼性もあるし、全体を俯瞰的に見ることができる。よく、新聞で読んだ記事をブログにリンクするためにネットで探すのだけど、同じ記事でもネットで見るのと新聞で読むのとではだいぶ印象が違うことが多い。ネットで先に新聞社のサイトを覗いてから新聞を読むこともあるが、ネットでは気付かなかったけれど、新聞で見つけて興味深くじっくり読んでしまう記事も多い。

書籍だって、全文をネットに載せたら売れなくなるというけれど、本当によい本ならそんなことはない。青空文庫に載っている名作たちが売れなくなったなんて聞かないし。ネットで全文を読むのってかなり大変なのだ。さわりを読んで面白そうだと思ったら、買って読む。さわりすら読めなかったら内容がわからないので買う気にはならない。高い本ならなおさら。

売れなくなる本というのは、内容がくだらない(買う価値もない)と判断された本で、ネットでの全文掲載が一般的になれば本の淘汰が進んでよいのではないかとすら思う。

面白いのはテレビの情報はネットにあふれているが、ネットの情報はテレビには流れないことが多いということ。テレビCMで流行したことは一般的に多くの人に知れ渡っているが、ネットで流行したことは、そうとうヘビーなネットユーザーでないと知らないことが多い。中川翔子や眞鍋かをりなどがブログの女王と呼ばれていることは知っているかもしれないが、実際にそのブログを読んだことがある人はどれくらいいるだろう。ましてや、毎日チェックしてるという人に出会うのはかなり確率が低い(私の知り合いでひとりだけ、中川翔子のブログが好きだという友人がいるが、かなり例外的なのではないかと思う)。

一方、テレビの場合は朝の情報番組は毎日見てるという人は多いし、友人と会えば「昨日の大河ドラマ見た?」と気軽に話すし、知人がビートたけしの番組に出ると言うと「見る、見る」という答えもあれば「あ、その番組毎週見てるよ」と言われたりもする。その番組自体を知らないという人は皆無だった。ネットだったら、知人が載っていると言っても、まずそのサイト自体を知らない人が多いだろう。そして、「昨日のショコタン(中川翔子)のブログ見た?」などとは気軽には話さないのである。そもそもショコタンのブログは分単位で更新されているので「昨日の」などと言うのが間違いなのだが。

とにかく、ネットの世界というのは、ネットの世界にどっぷりつかっていない人が思うほどすごいものではない。万能ではないのだ。ネットCMやネットを使ったキャンペーンなどよりテレビCMやテレビ番組の影響のほうが絶対的に大きいのだ。大企業のエライ人たちはそこを勘違いしてはいけない。

梅田望夫氏の「ウェブ進化論」や「ウェブ時代をゆく」を読むと、ウェブの可能性についてポジティブに言及されていて夢が膨らむのだが、それはネットを“高尚に”使いこなせる一部のユーザーにとってであって(それでもその一部の人の恩恵を間接的にでもその他大勢の人も受けると思えば意義のあることだと思う)、大多数の庶民にとってはあまり関係のないことなのではないかという気がする。

ましてやネットを使って庶民を巻き込んで何かをしたい企業とか、宣伝をしたい企業にとっては直接的には何の役にも立たないのではないかと思う。

梅田氏が提唱するネットの便利な側面というのは、聞いていると確かに便利だし仕事の能率アップには非常に有効だと思う。だが、実際に生活者の視点で考えるとそれは絵に描いた餅のようなものだ。だって、その大前提は、ネットに常に繋がっている、もしくは毎日のようにネットをチェックする、ということだから。

ネットを介して瞬時に書類のやりとりができたり、ネット会議のようなもは私のようなヘビーユーザー(もっとヘビーなユーザーはたくさんいるが)にとっては非常に便利なシステムなのだが、相手がネットに繋がっていなければ何の役にも立たない。仕事で使っていれば常にネットに繋がったパソコンがそばにあって、そういうシステムが機能するのだろうが、そうでない場合、ヘビーユーザーのほうが少数派なのでうまくいかない。なにか市民レベルで企画を立てようとしたときにこういうシステムがある、と提案したとしても中心となる人たちすべてがネットを利用しているという可能性は低い。

例えば、マンションや地域の自治会の連絡網をネットで作ろうとしてもうまくはいかないだろう。ネットを利用していない人が何割かいるだろうし(導入に費用などがかかるので無理には勧められない)、利用していても自在に使いこなせるレベルの人はごく少数なのではないかと思う。メールくらいならなんとかなっても、SNSに登録したりログインしたりするというのすら難しいという人も多い。うちの母の場合はショッピングモールの会員登録すら大仕事だった。

また、ネットでのやりとりには暗黙のルールのようなものもあり、それを知らない人同士だと無用の摩擦や衝突が考えられる。携帯からの短い返答にパソコンユーザーがイラッとしたり、なんて日常茶飯事なのだ。

そんないざこざの処理などに余計な手間暇をかけるくらいなら、普通に回覧板を回した方がよっぽど話が早い。結局は従来通りのリアルなやりとりが一番効率がよいのだ。

「私たちの人生、なんとリアルな場の占める割合が多いのだろうか。これら人生の大部分を占める要素にネットはどれだけ入り込めたのか?

大したことはない。
かなり入り込まれている人はヤバい。
もう少し外に出て人に会ったほうがいい。
なぜなら、ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから。」

この本の結びの文章に激しく共感。ネットにのめり込むほどに、リアルな世界の大切さは痛感する。

「凡庸な人間はネットを使うことによっていきなり優秀になれるわけではないし、バカもネットを使うことによって世間にとって有用な才能を突然開花させ、世の中によいものをもたらすわけでもない」

「・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である
・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである」

そうそう、そうなのだ。ネット神話なんて、ない。ネットは自由じゃない。ブログの内容なんて当たり障りのないことだらけ。だって、あらゆる人に全方位的に配慮しなきゃいけないんだもの。

犬を放し飼いにしているってだけでクレームの嵐が巻き起こるのを見て驚いた。あんた、実際に見たんかい!? って言いたくなる。神奈川県では放し飼い(ノーリード)は条例違反ではあるのだけど、歴史的経緯からして犬の放し飼い自体は珍しいことでもなんでもない。農家では野生動物を追い払う番犬として飼っていた犬は繋ぎっぱなしでは用をなさない。今ではそういう飼い方は時代錯誤だが、放し飼い自体に対して(よっぽど凶暴そうな犬でなければ)一般的には寛容である。(だからと言って条例違反を推奨するわけではない。放し飼いは、犬の安全を守るためにもやめたほうがいい)

実際に放し飼いにしている現場を目にして、まったく関係のない第三者が飼い主に直接注意したり警察に通報したりすることって、どれくらいあるのだろうか。のどかな田舎だということもあって、私も何度か放し飼いの現場を目撃したことがあるし、よく見かける近所の人でもいつもノーリードで犬を散歩させている人もいるが、よほど親しくなければ直接注意はしないし、他の人が注意しているのを見たこともない。

それが、ブログに書かれたとたん、非難の嵐が巻きおこり、直接その現場を目にしたわけでもない人が警察に通報したりする。通報された警察だって迷惑だろう。

私が疑問に感じるのは、ブログに書かれたことが事実なのかどうか確かめないで行動に出る、ということだ。実際に放し飼いにしているのなら非難されるのも当然なのだが、写真と文章だけでその行為を判断するのは非常に危険なのではないかと思う。ブログを書く側の心理として、注目されたいがために多少誇張することだってあるし、他人に配慮して事実を多少変更することだってある。実際には家族の話でも知人の話ということにしたり、もらったトウモロコシを半分は親戚にあげちゃったとしても山盛りの写真を載せて全部我が家で食べました、と書くことだってあるだろう。

犬を放し飼いにした人も、もしかしたら実際には写真を撮るときだけリードを外して、あとはきちんとリードを着けていたかもしれない。…とは考えないのだろうか。

本の中には、mixiの日記に、バイト先のファーストフード店でゴキブリを揚げたと書いた高校生が、大騒ぎされた末に高校に迷惑をかけたという理由で中退までした例があげられていたが、結局、日記の内容はウソだった、というオチ。ウソを書いたことで中退までするなんてばかばかしいと思う。書いた本人もバカだと思うが、そこまで追い込んだ人たちもどうかと思う。それこそ、見てたんかいっ!? と言いたい。自分にはまったく関係のない場所で起こった出来事を、ネットで知ったというだけで大騒ぎして通報するのは…バカではないのか。

もちろん、通報したっていい。しかし、それなら、現場まで出向いて事実関係をきちんと把握した上で本名を名乗って通報するのが筋だろう。そこまでできないのなら、ネットにバカなこと書いている高校生がいるよ、と笑って読み飛ばせばいいのである。

例を挙げ出せばきりがないが、この本の内容には共感するところが多くて久しぶりに一冊を一気読みしてしまった。著者と同年代で、ヘビーユーザーだということが大きいと思う。これを、ネット幻想を抱く大企業のエライ人に読ませたとして、どこまで理解できるのかは疑問だが、具体的な事例や数字を駆使して「ネットはくだらない」という真理をつく本書はとにかく痛快で、すかっとした気分になったのだった。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

梅田 望夫(著) 
筑摩書房
¥ 777 [新書] 2006-02-07
ISBN:9784480062857 / ASIN:4480062858

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

梅田 望夫(著) 
筑摩書房
¥ 777 [新書] 2007-11-06
ISBN:9784480063878 / ASIN:4480063870

仏教ってそうだったのか!◆『般若心経の謎を解く』
2009/04/01(水)

般若心経の謎を解く 誰もがわかる仏教入門 (PHP文庫)

三田 誠広(著) 三田 誠広(著)
PHP研究所
¥ 620 [文庫] 2007-04-03
ISBN:9784569667980 / ASIN:4569667988

仏教は般若心経についての本は数多あり、その中でも分かりやすそうなものをいくつか読んだことはあるのだけど、どれも、わかったようなわからないような…という感じだった。

この本の著者も同じようなことを言っている。お坊さんや学者など専門家が書くとどうしても核心をぼかして周りを説明するから結局のところよくわからず、最後に狐につままれたような気持ちになるのだと。著者はこの原因を、お坊さんは、一般の人に核心部分を教えてしまうと自分たちの仕事がなくなってしまうから…などと書いているけれど、私はちょっと違って、たぶん、お坊さんたちにもよくわかっていない、というかわかっているけれどそれを言葉で表現し、人に教える能力がないのだと思う。「名選手名監督にあらず」とも言うように、「理解する・できる」ということと、「教える・育てる」という能力は別なのだ。

この本を読み終わってから思ったのだけど、般若心経の意味を教えるというのは、私たちが日常的に使っている「日本語」を、全然話せない外国人に教えるようなもの。日本語自体は確かに理解しているのに、いざ教えようと思うと、いったい何から教えていいのか分からない。「意味なんて考えずに、とにかくなんでもいいから聞いた通りに繰り返してみて」ってなってしまう。

まさに般若心経。意味なんてわからなくていいから、とにかく唱えること。結局、意味を知ったところで、最終的には最初に戻って、「意味を考えずに唱える」のが般若心経なのだと理解するのだけど、いきなり「意味を考えるな」って言われても「なんで!?」ってなる。

日本語を習いたい外国人の中にも、きちんと文法から習いたい人だっているだろう。そういう人は、「日本語を教える」スキルのある講師がいる語学学校などに行く。日本語をペラペラと話している人からといって、その人たち全員に教える能力があるかというとそうではないのだ。「わかりやすく教える」というのは特殊能力である。

そういう意味で、お坊さんで小説家である玄侑 宗久氏の「現代語訳 般若心経」ならわかりやすいかと思って読んだことがあるのだけど、冒頭に言ったような感想。わかったような、わからないような。部分的には共感でき、理解できたような気にもなるのだけど、最終的には「あれ、それで結局なんだったんだ?」ということに。小説家ならば「伝える」能力があるからきっとわかりやすいだろうと思ったのに。それでも他の本に比べたらわかりやすいのだろう。Amazonでは「般若心経」で検索すると1位になっている。「〜謎を解く」は41位だった。こっちのほうが絶対にわかりやすいのに。

著者の三田誠広氏は芥川賞作家。お坊さんでも学者でもないらしいが、小さい頃に仏教の本を熱心に読んだ、と本文に書いてあったので仏教(や宗教?)に造詣が深そう。

般若心経の説明をするために、まずは仏教の歴史について詳しく説明されている。そうなのだ、般若心経以前に、仏教とはなんぞや、ということがわからん。キリスト教の聖書のように、これ、という本もない。お経はいろいろな種類があるし、宗派もいろいろだし、いったいどこから手をつけていいのやら。そして、そもそも、仏様の教えとはなんなのだ、と思い、広く普及している般若心経がわかれば仏教もわかるかも、という思いから般若心経の解説書を手に取った。…そういう私のような読者は多いと思う。

考えて見れば、三田氏のように宗派を超えて仏教全般に対する豊富な知識を持っていて、なおかつ読者に分かりやすい平易な文章を書ける人というのはごくごく少数なのだろう。お坊さんや学者の書くものが難しくなるのは仕方がない。三田氏の文章はわかりやすく読みやすい。小説のようにすらすらと読み進められた。

般若心経の解説書のはずなのに、般若心経については冒頭部分と最後の部分で触れられていて、途中はあまり関係ないと思われる仏教の歴史と般若心経の成り立ちについて。ところがどっこい、全編通して読み終えるときにはちゃんと般若心経の「核心」について理解できたような気分になった。この「理解」が正しいものなのかどうかは置いておいて、とにかく、「納得」できたのだった。

そして、仏教というものがなんなのか、ということも、わかったような気分になった。いままで、お寺などで仏像を見ても違いがよくわからなかったけれど、「なるほど、そういうことだったのか」と確かに「謎が解けた」のだった。

現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))

玄侑 宗久(著) 
筑摩書房
¥ 735 [新書] 2006-09
ISBN:9784480063199 / ASIN:4480063196

生き方を考える◆『ウェブ時代をゆく』
2009/03/28(土)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

梅田 望夫(著) 
筑摩書房
¥ 777 [新書] 2007-11-06
ISBN:9784480063878 / ASIN:4480063870

「ウェブ進化論」をはじめとする梅田望夫さんの著書は共感するところも多くて、読んだ後になんだかちょっとポジティブな気分になるところがいい。

楽観論じゃないかと思うところもあるけれど、それでも、やってみなけりゃ分からないじゃないか、やらないよりやったほうがいいんじゃない? っていう私の持論とも合致。やってみてだめならそこをみんなで直していけばいいのよ。ウェブ世界を否定する前に、どんな風に発展してゆくのか見てみようよって思う。

梅田さんもウェブが万能だとは言っていない。リアル世界で生きにくい人が、ウェブ世界で活き活きとできる可能性、ということを指摘している。リアル世界でうまくやって行けている人は無理にウェブ世界に入らなくてもいいのだ。ただ、ウェブを全否定しないで欲しい。ウェブ世界でしか生きられない人も、いる。ま、そういう人って、どうなの? っていう意見もあるだろうけど。サイバーな世界でしか生きられない人っていうと、なんとなく地に足着いてないんじゃないかっていう気もするけれど、いままでリアル社会からこぼれ落ちていた人たちが活躍する場を持てたってことは、いいことなんじゃないかなぁ。リアル世界で地位や名誉を気付いていて“地に足着いた生活”をしている人から見たら、宇宙人のような存在なのかもしれないけれど。

タイトルをよく読めば分かっただろうけれど、「ウェブ進化論」の続編くらいに思って読み始めたので想像とちょっと違う内容だった。ウェブ論ではなく、自己啓発書だった。タイトルにちゃんと「ウェブ時代をゆく-いかに働き、いかに学か」って書いてある。そう、“生き方”の本なのだ。

リアル世界で行き詰まっても、ウェブがある。ただ、発展途上の世界。まだどういう未来になってゆくのかわからない。それでも先人たちが示したいくつかの成功例をもとに、事例をあげながら“ウェブ時代の生き方”を提示してくれている。

なるほど。こういう道もあったか。こういう展開もあるのか。しかし、それはウェブ世界だけの話ではなく、リアル世界で生きてゆくためにも必要なことだったりもする。つまり、ウェブとリアルの混在した世界でどう生きるか。ウェブとリアルを行き来しながら自分らしい生き方をするにはどうしたらいいのか。

自分の未来を考える上で読んでおいて損はない本だと思う。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

梅田 望夫(著) 
筑摩書房
¥ 777 [新書] 2006-02-07
ISBN:9784480062857 / ASIN:4480062858

奈良に行く前に◆『鹿男あをによし』
2009/03/26(木)

鹿男あをによし

万城目 学(著) 
幻冬舎
¥ 1,575 [単行本] 2007-04
ISBN:9784344013148 / ASIN:434401314X

ドラマを見て猛烈に奈良に行きたくなった。とりあえず原作も読んでみようと買ったのだけど、そのまま放置。奈良に行くことになって慌てて猛スピードで読了。こんなに必至に読書したのって久しぶりかも。

最初のほうはドラマを見ていなかったら読み進められなかったかも。なんについてのどういう話なのかさっぱりだったと思う。後半はかなり一気に読めた。

小説は小説で面白く、ドラマはドラマで面白かった。ドラマで、平城京跡などの映像を見ていたので小説でも映像が思い浮かんだのはよかった。

奈良の女子校の臨時教師になった主人公が、不思議な行動を取る女子学生としゃべる鹿に振り回されつつ、古代のお宝を探す話…かな。ちょっと違うかも。学園モノと古代史ミステリーとSFが合体したような話。

万城目学は最初の「鴨川ホルモー」が話題になって、この「鹿男〜」もけっこう話題になった。「鹿男〜」が面白かったら「鴨川〜」も読もうとはりきっていたんだけど、「鹿男〜」だけでお腹いっぱい。もういい。

鹿男あをによし DVD-BOX ディレクターズカット完全版

 
ポニーキャニオン
¥ 23,940 [DVD]
ISBN:4988632132091 / ASIN:B0018CKUUE

鴨川ホルモー (角川文庫)

万城目 学(著) 
角川グループパブリッシング
¥ 540 [文庫] 2009-02-25
ISBN:9784043939015 / ASIN:4043939019

多発性筋炎その後・ウィルス性腸炎とステロイド減量9mgに
2009/03/13(金)

2月28日にウィルス性腸炎になり、夜中に比較的近くて一番大きい病院に行って点滴してもらった。夜発症すると困る。今回は胃は全然痛くなくて、とにかく下痢、下痢。ウィルス性かどうかもよくわからなかったけれど、冷や汗は出るし、トイレとお友達だし、出るものは水みたいだし、普通じゃないのでとりあえず病院行ったほうがいいと思い、母に夜間診療所などに電話してもらって診てもらえそうな病院を探した。休日夜間診療所、名前に反してこの日はやっておらず、テープのアナウンスが流れていた模様。おいっ。

本当に切羽詰まったら救急車なんだけど、そこまでひどくはないので、自力で行くことに。幸い、我が家は両親が同居していて、いざというときには頼れるからこういうときにとても助かる。診てもらえそうな病院(結局ここへ行った)に電話したら、まず症状を聞かれ、医師に確認するとのこと。母は以前その病院に私が入院したことがあると言わなかったので、その後に、私が自分で説明した。アピールポイントなのに! 膠原病があることも言って、「整腸剤くらいしか出せないけれどいいですか」とのことだったので、「それでいいです」と答え、病院へ。

診てくれた医師は当たり。膠原病、ステロイドにも詳しくてよかった。こういう場合はステロイドを増量するんですが…と言うので、以前は増量しなかったのでいいです、と断る。10mgの場合は3日間、15mgくらいに増量するのだそう。後日、大学病院の主治医に聞いてみたら、「確かに、手術などで体にストレスがかかる場合は増量するけど…」という感じで、腸炎くらいだったらどっちでもいいみたい。増量しても問題なし、とのことだった。そうなのか。

腸炎の治療としては、特別なことはしなかったけれど、ステロイドを服用していると脱水症状からくる合併症が怖いそうで、点滴はさせてください、とのこと。点滴はただの水分で、痛み止めなどは入ってない。

出してもらった薬も、ほんとにただの整腸剤と抗生物質。それと頓服の痛み止め。病院から帰ったら、夜中の2時だった。そのあと、寝ようとしたのだけど、またちょっと下痢。止まってない〜。下痢止め飲んでないのだからしかたない。そういえば医師も、こういう場合は止めないで出しちゃったほうがいいと言っていた…。

出してもらった整腸剤を飲んだけど止まらず。下痢止めじゃないんだから止まるわけない。

しかし、徐々に治まってきているので、我慢。翌朝にはとりあえず下痢は治まった。あとは食事に気をつけて快復させる。胃が元気なので、食欲はある。でも控えめ、控えめにおかゆ生活。一週間くらいでだいぶ快復した。

あとで、医療関係者の知人たちに聞いてみたら、やっぱり下痢止めは極力使わずに、辛いけどとにかく水分(スポーツドリンクなど)を取って、出しちゃう方がいいみたい。いつも行く近所の内科医は、下痢止めを出してくれるのでぴたっと止まるのだけど、その下痢止めはかなり強いから飲まない方がいいと言われた。近所の内科医、薬の量が多いのは気になっていたのだ。でも、下痢、止まると楽なんだよね…。

先週は大学病院の日。ステロイド剤(副腎皮質ホルモン)の量は10mgで安定しているので最近は2ヶ月に一度の通院。昨年の秋に減量してもらおうと思っていたら、主治医が変わってしまい、タイミングを逃してしまった。主治医が変わっても減量にはあまり影響しないと思うんだけど、やはり何かあったときのことを考えると慎重に、新しい主治医の様子を伺ってからのほうがいいと思ったのだった。

で、冬場は年末年始が挟まり、2月には展覧会があったりしてバタバタと忙しく、様子見。春になって、体調も良さそうなので思い切って減量を切り出してみた。春先から梅雨時にかけてはあまり体調のいい時期とは言えず、どちらかというとどんよりと不安定な時期。でも以前もこの時期に減らしたことがあり、ちょっと長期間ダルダルだったのだけど、なんとか乗りきったので今回も頑張ってみることにする。そういう話は主治医にはしないけど。

以前のダルダルは、薬の減量の所為ばかりではなかったかもしれないとも思う。今回は、なるべく体を動かすようにして、体調管理もしっかりしたい。

主治医は割と若い人だけど、「筋炎はあまり再燃する印象がない」と言っていた。大きな病院なので症例は多いと思うけれど、それで再燃する人があまりいないというのならそうなのだろう。私も、この病院にかかってからは再燃していない。そう考えると、以前再燃したときはやはり主治医との相性が悪かったのかも。一度目の主治医は嫌いだったし、二度目の主治医は筋炎の治療経験自体があまりなくて怪しかった。

そんなわけで、無事9mgに減量。減量して一週間、特に変わったことはない。反動でダルいということもなし。というか、年中ダルいので、特別変わったような気がしない。私の場合は、減量直後よりも一週間後とか二週間後にダルさがやってくることも多いのだけど。

基本的に運動不足なので、春になって暖かくなってきたのでとりあえずよく歩くことにする。“大事を取って”と寝てばかりいるのは、逆に良くないようだ。薬とともに、体重も減るとよいなぁ。

難病情報センター
http://www.nanbyou.or.jp/

多発性筋炎・皮膚筋炎
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/067.htm

秘密だらけの人生◆『グッド・シェパード』
2009/02/25(水)

グッド・シェパード [DVD]

 
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
¥ 3,990 [DVD]
ISBN:4571264903261 / ASIN:B0012RE4HU

秘密諜報部員というのか、スパイというのか。「007」のようなカッコイイものではない。いわゆる普通の人を装って、普通でない生活をする。国家機密だとか他人の弱みだとかを情報を収集。誰が味方で誰が敵かもわからない。誰も信用できない。なんだか哀しい人生。

ウソは泥棒の始まりというけれど、一つの秘密を持ったところから、その秘密を守るためにさらに大きな秘密をかかえ、家族にも心を許せず、親友もいない。なんだか寂しい人生。

秘密を知っているだけに、組織から抜ければ抹殺される可能性もある。抜けられない。泥沼。そういう組織を作り出してしまった国家も、罪だと思った。

誰も幸せにならない◆『華麗なる一族』
2009/01/25(日)

華麗なる一族〈上〉 (新潮文庫)
山崎 豊子(著) 

新潮社
¥ 860 [文庫] 1970-05
ISBN:9784101104126 / ASIN:4101104123


やっと読み終わった…。半年以上かけてゆっくり読んでしまった。じっくり味わうために時間がかかったというわけではなく、読み進むのに苦労した結果、時間がかかってしまったのだった。ドラマを見てだいたいの展開が分かっていたのでなんとか読了したけれど、見てなかったら途中で投げ出していたかも。

山崎豊子の作品は、重厚だけど、どの作品も、どの登場人物にも感情移入できない。今回もそう。どの人物も、私にとってはあまり魅力がないんだよなぁ。ドラマでキムタクが演じていた長男の鉄平は珍しく魅力ある人物ではあったけれど、その最期は納得できず。なぜそうなる…。

なんか、がんばった人が報われないのよね。がんばった人が報われて最後はハッピーっていう小説のほうがいいなぁ。

「華麗なる一族」の場合は、題材が金融業界やら鉄鋼やらで、それ自体に興味がないし、なんだか複雑なものだから、頭が痛くなってしまった。銀行再編の行方とか、そんなのどうだっていいじゃん、って気になって、話の結末もたいして期待せず。そんな妻妾同居の生活を送っているエロ爺の野望とか、行く末とか、どうでもいいよ。

結局、この小説のなかで幸せな人なんていない。一応、恋愛して結婚することになった娘だって、親に祝福されてるわけじゃないし、これから苦労しそうだし。暗い話だよなぁ。

華麗なる一族〈中〉 (新潮文庫)
山崎 豊子(著) 

新潮社
¥ 820 [文庫] 1970-05
ISBN:9784101104133 / ASIN:4101104131

華麗なる一族〈下〉 (新潮文庫)
山崎 豊子(著) 

新潮社
¥ 780 [文庫] 1970-05
ISBN:9784101104140 / ASIN:410110414X

細かいところが気になる◆『流星の絆』
2008/12/23(火)

流星の絆
東野 圭吾(著) 

講談社
¥ 1,785 [単行本] 2008-03-05
ISBN:9784062145909 / ASIN:4062145901


ドラマ化されたものは、原作をかなり脚色してあるようだけど、どちらも話題になっている。ドラマは見ていないのだが、父が図書館から借りてきたので読んでみた。

兄ふたりと妹の三人きょうだいの両親が幼い頃に殺され、成長したきょうだいは力を合わせて詐欺をして金を稼ぐ。妹は父を殺した犯人の息子に惹かれ、事件には真犯人が…。

なんてあらすじや設定をドラマの番組宣伝や新聞のテレビ欄で読んでいたので、ストーリーもすぐに頭に入ってぐいぐい読んでしまった。細かいところでは「あれあれ?」って思う設定もあるのだけど、ドラマにはしやすいだろうな。東野圭吾は全般的にそういう作品が多い。主人公が若くて、現代のお話で、超能力とか出てこないからCGもいらないしね。

ストーリーに深くかかわる部分では、人気レストランのオーナー料理人の妻が香水をつけるかどうかってところが最大の疑問点なのだけど、まぁ、そういう人もいるってことで。香水って料理の味がわからなくなると思う。

お話はそれなりに面白いのだけど、そんな細かいところばかり気になってしまった。結末も、それでいいのかい!? っていうような感じで、ちょっと釈然とせず。エンターテインメントですからね。いいけど。

ドラマ「流星の絆」
http://www.tbs.co.jp/ryuseinokizuna/