最近の、ニートとかいじめとか少子高齢化とかの問題の解決方法は家族の再生ではないかとつねづね考えていたのだけど、それがあながち間違っていないようだ。本書では、「家族」ではなく「親密圏」となっていたけど。
学校にクレームを付ける親、これから学ぶ内容について教師に「それがなんの役に立つのか」と尋ねる子ども、ニート、師弟関係。現在の社会の問題にちょっと違った視点から解釈し、その原因を探る。
講演をまとめたものなので読みやすく分かりやすい。教育を等価交換ととらえる子どもたちなど、面白いなと思う部分は多かった。「二十四の瞳」の大石先生に憧れていた著者だけど、最近映画を見直したらその先生のダメっぷりにびっくりしたというエピソードは笑える。私も同感。あの先生、ダメダメなのだ。だけど昔はそういう人でもちゃんと先生として機能していた。なんでもかんでも学校にクレームをつける現代では絶対に教師にはなれない。古き良き「二十四の瞳」の時代の寛容さというか教師と生徒(と親たち)の関係は今、見直してみてもいいのではないだろうか。
昔は携帯電話もなくて、家にも電話がなくて、父親は朝出かけたら毎日同じ時間に着く電車で帰ってきた。雨の日は子どもが傘を持って駅に迎えに行く。遅く帰る日は朝出かける前に家族に伝える。急に予定変更なんてことはめったにない。
一日のサイクルがほぼ決まっている。現代は毎日毎日の予定がクルクルと変わる。これってなんだかせわしない。著者は「昔はもっとゆったりしていた」と言う。その通りだと思う。現代の生活ではなんだか心にゆとりがないのだ。
朝、家族で朝食を取って、夕方は定時で父親が帰ってきてまた家族で夕飯を食べる。土曜日は学校が半日で、日曜日は家族全員が家に揃う。そういう、昔は当たり前だった「サザエさん」のような生活をしている家族って今では珍しいのではないだろうか。
今は自己責任とか言って「孤立」する人が増えている。著者はニートの原因は「孤立」ではないかと言っている。なるほど。人間関係の希薄さが原因というのは分かるかも。
なんでもかんでも自己責任にして、収入が少ない人は貧乏に耐え、社会的弱者は行政が面倒みろ、という風潮。それって正しい方向なのだろうか。
家長制度というのがすべていいとは思わないけれど、ある意味、うまく機能していた面はあると思う。長男が財産を受け継ぐ代わりに老いた親や病気で働けない親族など家族の中の弱者の面倒も引き受ける。社会的弱者が「孤立」することはない。
現代では老人も、障害者も「孤立」度が高まっているような気がする。「自立」と言えば聞こえはいいけれど、善し悪しだよね。
結婚式やお葬式を簡素化する傾向もあるけれど、ああいう場所で親戚が集まるのってある意味大事だと思うようになった。若い頃、結婚式はしない派だったのだけど、あれは自分たちのためと言うよりも、親族のためにやるものだと気づいた。誕生日が自分のお祝いじゃなくて母の出産記念日だと気づいたのと同じくらい目からウロコなのだった。