独身女が病になったとき◆『がんから始まる』
2007/09/14(金)

がんから始まる (文春文庫)
岸本 葉子(著)

文藝春秋
¥ 630 [文庫] 2006-04
ISBN:9784167599072 / ASIN:4167599074

40歳で虫垂がんになった女性エッセイストの著作。がんになってみてわかったこと、いままでとは違う世界、手術後の生活、死と向き合うこと、自分で治療法を選ぶということ。

私はがんではないけれど、膠原病という、現代の医学では完治しない病にかかっている。がんほど死と直結しないものの、薬の副作用で免疫力が落ちているためにただの風邪でも健康な人よりも死に到る可能性が高い。そして、体力が落ちているのでフルタイムでの労働は無理。心境的には、がんの人よりは切迫感はないものの、健康な人よりは病人の気持ちがよく分かる。

このエッセイを読んでいて、共感というか、共鳴する部分がとても多かった。この著者の感じ方や考え方は私に近いような気がする。もちろん、全部ではないけれど。

なにより、著者は40歳独身ひとり暮らし。まだ老後を考える年代ではなく、無条件に長生きすると信じて生きてきたのに、突然、死というものが身近になる。長年払ってきた年金だって、もらえるようになる年まで生きられるかどうか…それどころか二、三年先の予定さえおぼつかない。

私が病になって、一番ありがたいと思ったのは家族の存在だった。しかし、順番からいけば両親は先にいなくなり、私は独身のままなら老後はひとりぼっちだ(弟はあてにならない)。漠然とした不安。経済的にも、年金をちゃんと払っていけるのかすら不安。

この本を読んだきっかけとなったのは叔母のがんが発覚したことだったのだけど、その叔母夫婦には子どもがいない。私が子ども代わりとなって支えてあげよう、と思うものの、そこはやはり別世帯の事なので、自分の家族ほど深く関わりあえないのだった。自分の親ならば、無理矢理にでも抗ガン剤治療をやめさせる事もできるかもしれない。でも、叔母の治療にはそこまで口を出せなかった。

翻って、我が身を考えれば、将来、このまま結婚もせず、子どももいない場合、いざ大きな病にかかったら、すべて自分一人で事を運ばねばならない。治療法を決めるのも、病院で身の回りのことをするのも、経済的な負担もすべて自分。まさに、この本の著者と同じ状況だ。

家族についてのサポートグループについて言及している箇所で、著者は家族は「ある意味患者以上にストレスフルだ」と書いている。「患者は当事者だから、がんについて、どんな受け止め方をしようが自由だが、家族には、それがない。患者ががんについて言うことが絶対となり、反論も、感情を表すことも許されず、パートナーまたは共同体であるべき家族が、支配-被支配官界になってしまう。」

これはよく当たっていると思う。私自身、家族(または親類)が病気になってお見舞いに行くのはとても憂鬱。自分が入院しているほうが数倍気が楽だと思う。

逆に、自分の同居している両親がストレスフルかというと、そうではない気がする。気がするだけかもしれないけれど、元来、私の両親は楽観主義で呑気なのだ。呑気すぎてそれが私のストレスになったこともある。しかし、呑気がストレスになるというのも変な話なので、私自身の考え方を180度変えて、思いっきり両親に寄りかかることにしてしまったら楽になった。その家族ごとに、病人を囲む状況は違うのだろう。

この本の中でも著作が挙げられている竹中史良医師が、最後に解説を寄せている。竹中医師はがんの専門医で、自身もがんを患った経験を持つ。その竹中医師が、「本書では、著者が自らのがん闘病を可能なかぎり客観視し、闘病中にもかかわらず、間延びしたと感じさせる程の安定感がある」と評している。

それはとても当たっていると思うのだけど、私は読みながら「この人の感じ方や文章への変換の仕方は自分ととてもよく似ている」と思っていたので、この一文を読んだときに、「ああ、私の文章も間延びしているのかも」と思ったのだった。この場合の間延びっていうのはネガティブな意味ではなくて、呑気、楽観的というような意味合いだと思う。

内容にももちろん共感したり、感心したりした部分が多かったのだけど、この著者の文章は見習いたいと思う部分が多かった。さすがプロだ。私もこういう風に自分の考え方を表現できたらいいのに、と思ったのだった。この人ががんになったのは、ひょっとしたらこの本を書くためだったのではないかとまで思った。もちろん、そんなことはないのだろうけど。

著者ががんにならなかったらこの本は生まれなかったと思うと、不謹慎ながら、がんに感謝すらしてしまい、そのあと著者には非常に申し訳ない思いでいっぱいになった。

しかし、病が仕事に結びつく職業というのもあまりないから、それが収入に結びつくというのはある意味うらやましい。私のこんなだらだら文章なんてなんの価値もありませんから。