『いま、会いに行きます』がちょいSFで、最後の種明かしで「おお!」と感動したのだけど、今回はいったいどんなカラクリかと期待いっぱいで読み進めた。『いま、会いに行きます』と同じで最初はまったくSFの気配はないのだけど、SFを疑い始めると登場人物たちがみんな怪しく思えてくる。それはそれでとても楽しい。いったい誰がどんな秘密を持っているのかと考えを巡らすのだけど、答えはわからない。
一番怪しいのは主人公(語り手)の幼なじみの花梨。そして主人公のお父さんもお母さんもなんだか意味ありげ。しかし、そういうちょっとした秘密は誰もが持っているもので、きっと登場人物たちもみんなちょっとずついろんな秘密を持っているのだろうなという気もしてくる。
この人の小説がなんで好きかって言ったら、悪い人が出てこないのよね。なんだかみんなやさしい。情があるというか、体温が感じられる。
アロマとか、水槽とか、絵とか見えない(読み手が想像するしかない)小道具も心憎い。水槽もアロマも、想像の「余地」があるものなのだ。そこがいい。見たことないし嗅いだことがないものだけど、きっとこんなものなんだろうな、と読み手が勝手に自分なりの“素敵な”香りや“きれいな”水槽を想像できる。
そして、主人公たちが少年時代にごみの山で飼っていた犬。吠えないように声帯を手術されたあげく捨てられたのであろう過去を持つ。名前は「トラッッシュ」。トラッシュは「ヒューウィック?」と鳴く。悲惨なのに本人(本犬?)はまったく我が身を憂いていないところがまた情をかき立てるのよね。純というか無垢というか。
この小説での種明かしは『いま、会いに行きます』ほどの“やられた”感はなかったけど、お父さんの台詞には静かな感動がわき起こった。面と向かっては言わないけれど、親は誰でもそういう思いを抱えているのだろうな。そして、それは言わなくてもちゃんと子どもには伝わっているのだ。だけど、あえてお父さんはその言葉を子どもに伝えたかった。そして、そういう感情を持てる対象(子ども)がいるって幸せなことだなぁと改めて思ったのだった。もちろん、そういう風に思ってくれる親がいるっていうのも幸せなのだけども。
恋愛小説でもあるけれど、実は親子愛の物語でもあったのだ。